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<title>批評学園</title>
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<description>日常・非日常を批評するブログ。</description>
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<title>Ｔｗｉｔｔｅｒ周辺</title>
<description> 　いまいち判断しかねるのが、Ｔｗｉｔｔｅｒに対する世間の認知度ね。これはかなり温度差があると思う。というか、「Ｔｗｉｔｔｅｒによって世界は大きく変わる！」などと熱弁する人間と、「聞いたこともない」という人間が大きく分かれるだろうということでね。いや、もちろん「体験してみたけど、自分には合わなかった」という人もいるだろう。いずれにしろ、このサービスが一部の人間にとって強烈な体験であったことは間違いな
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<![CDATA[ 　いまいち判断しかねるのが、Ｔｗｉｔｔｅｒに対する世間の認知度ね。これはかなり温度差があると思う。というか、「Ｔｗｉｔｔｅｒによって世界は大きく変わる！」などと熱弁する人間と、「聞いたこともない」という人間が大きく分かれるだろうということでね。いや、もちろん「体験してみたけど、自分には合わなかった」という人もいるだろう。いずれにしろ、このサービスが一部の人間にとって強烈な体験であったことは間違いないようだ。<br />　ＴＩＭＥ誌の表紙をＴｗｉｔｔｅｒとｉＰｈｏｎｅが飾ったことも話題になったし、本屋に行けばＴｗｉｔｔｅｒ関連本などが溢れている。ただ、まだメディア主導というか、とにかく話題作りの為に騒いでいるような感は否めないね。そりゃメディアってのは話題作りを至上命題とするものだから仕方ないけど、例えばｍｉｘｉなんかはもう少し草の根的に話題になっていったのに対し、Ｔｗｉｔｔｅｒの方は、やや先に話題ありきな印象がある。<br />　これについては、Ｔｗｉｔｔｅｒ自体が、まずアメリカでブレイクしてから日本に上陸したという経緯が挙げられるだろう（もちろん、日本にいても英語版サービスは享受できるけど、やはり一般的には日本語対応してからが正式サービス開始ということになると思う）。その際の謳い文句も、「オバマ大統領もやっている！」といったミーハーなもので、革新的なシステムというよりは、有名人が参加しているのが売りだといった宣伝がされていた。<br /><br />　では、Ｔｗｉｔｔｅｒは何が新しいのか。例えば、かつてブログに関しては、「日記と掲示板を融合したようなシステムである」といった評価がされたことがあった。当時流行っていた個人サイトの多くは、日記と掲示板、あとは写真などの投稿といった辺りがメインだったわけで、それならばそれら全てを総合したサイトを簡単に作れるようなシステムを構築しよう…といった辺りが、ブログ誕生の動機だったと思われる。<br />　それに対してＳＮＳ（ｍｉｘｉなど）はどうかというと、そこに現実社会との融合を持ち込んだシステムだと言えるだろう。「ネットといえば匿名性」みたいな、いわゆる２ちゃんねる文化がある一方で、個人サイトなどは現実と地続きで享受されていたわけだ。つまり、現実のコミュニケーションをより密に円滑に行なうためのツールとしてのネット、及びサイトがあるといった考えを膨らませたのがＳＮＳではないか。<br />　さらに言えば、こういう言い方をすると気を悪くする人もいるだろうけど、ＳＮＳには出会い系サイト的な側面もあったわけだ。現実の知り合い同士がネットを介してコミュニケートするのみならず、ネットを介することによって見ず知らずの人間ともコミュニケートしようとするということ。もちろん、そこから実際に現実社会で会うことも念頭において利用されることも多かったと思う。いずれにしろ、背景にある現実の「個人」を想定しながら利用するサービスであったはずだ。<br /><br />　そう見ていくと、ブログもＳＮＳも、それ自体は斬新でもなく、旧来の個人サイト上のサービスの拡張や融合にすぎないという見方もできるだろう。だが、実は個人サイト全盛の頃にブレイクしかけて、そのまま今日まで姿を消してしまったサービスがある。それがチャットだ。俺はかねてよりこのチャットというサービスに注目していたけど、Ｔｗｉｔｔｅｒはチャット的な即時性を重視していることが斬新だったのだ。もう少し言えば、旧来のＳＮＳの概念に、チャットとＲＳＳを融合させたようなものと言えるだろう。全く新しいものは作れなくても、旧来のものを上手くリビルド（再構成）することにより、新たな地平が拓けることがある。それを確認できただけでも、Ｔｗｉｔｔｅｒの存在意義はあったと思う。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T13:55:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ＧＡＮＴＺの世界とは</title>
<description> 　『ＧＡＮＴＺ』の世界は謎だらけで、全体像は漠として明らかでない。もちろん、巻が進むにつれて見えてくるものもあるが、それに伴う謎も増えているといった印象だ。ここで一度、俺なりに抱いている「『ＧＡＮＴＺ』の世界とはどういうものなのか」という認識を素描してみたい。一応言っておくと、俺は手元に単行本など一冊も持っていないし、古本屋で立ち読みしただけだ。勝手な妄想も入っていることは否定しないし、作者のアイ
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<![CDATA[ 　『ＧＡＮＴＺ』の世界は謎だらけで、全体像は漠として明らかでない。もちろん、巻が進むにつれて見えてくるものもあるが、それに伴う謎も増えているといった印象だ。ここで一度、俺なりに抱いている「『ＧＡＮＴＺ』の世界とはどういうものなのか」という認識を素描してみたい。一応言っておくと、俺は手元に単行本など一冊も持っていないし、古本屋で立ち読みしただけだ。勝手な妄想も入っていることは否定しないし、作者のアイディアとはかけ離れたところにいる可能性もある。それを踏まえて、軽い気持ちで読んでいただけると幸いである。<br /><br />　まず、この世界（ＧＡＮＴＺの世界）は超越的な何者か（以下、あえて神と記す）によって創られた代物である。その神は世界の存在に対して直接関わることはできないが、セバスチャンという男の容態を借りて世界に現れることができる。つまり、セバスチャンは人間であるが、神そのものでもある。これについては、神とキリストの関係だと思ってもらっても構わないが、現実のゲームプレイヤーとゲーム内のキャラクターの関係だと考えるのが一番しっくりくるかもしれない。<br />　また、神はある種の媒介を通して世界の存在に対してメッセージなどを送ることはできる。例えば、ハインツの娘を経由して、ガンツのテクノロジーを伝えたように。つまり、ガンツ（及び、スーツや武具など）とは、神によって人間に与えられた超越的テクノロジーなのだ。<br />　ガンツ製作には、内部に入れる人間が必要になる。これは、ハインツの娘同様に、神が世界と繋がる媒体とするためであって、この内部の人間を通じて、神の意志がガンツの機械に伝えられるのだ。セバスチャンがキリストであり神そのものだとすると、ハインツの娘やガンツ内部の人間は、「神の声を聞くことができる者」という意味で、預言者の存在に近いとも言えよう。<br />　さて、この世界では人間の根本は魂であり、肉体はそれに付随するものである。つまり、魂さえあればそこに肉体が現象として現れる。そして、この魂はガンツのテクノロジーにより転送することができる（ＧＡＮＴＺ内に保存することもできる）。肉体は現象にすぎない故、転送によって再び完全回復する。<br />　では、星人とは何か。これは文字通り宇宙のどこかに棲む異星人のことのようにも思われるが、明らかに地球の存在である仏像などが星人になったりするように、ある種の仮想体であると考えられる。吸血鬼たちと「共通言語」があることから、星人たち及び吸血鬼たちは互いに独立しつつも同一の背景を持った存在であるようだ。おそらく、星人たちはガンツが生み出した仮想体であり、吸血鬼たちはガンツと同根のテクノロジーを有する別種の装置（確か、マイクロチップ的なものが原因となって生まれるのではなかったっけ？）によって人間から変異した存在なのだ。<br /><br />　以上を踏まえ、一連の流れをまとめよう。まず、この世界は神によって創られたもので、その理由は、神がある種のゲームを楽しむためのものだった。地球人達にガンツという技術を教え、それによって高度な武器を手に入れさせ、星人という仮想体とのバトルを繰り返させることによって鍛えさせる（経験値の取得）。得点や戦闘可能エリア、人間の復活や新たな武器の獲得など、ゲームならではの娯楽性も充実している。<br />　このゲームの最終目的は、「カタストロフィ」と呼ばれる宇宙人の襲来を乗り越えることだ。地球人側が勝てばクリアだし、宇宙人側が勝てばゲームオーバー。究極的にはそれだけのことなのだ。全ては神の娯楽だということになる。もう少し付け加えるならば、実はこの世界そのものが、超未来における最先端テレビゲームにすぎなかった…っていうオチだと思うが、どうだろうか。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T18:14:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ＧＡＮＴＺ３</title>
<description> 　またまた『ＧＡＮＴＺ』について少々…。とりあえず、黒い球体ガンツは地球上のテクノロジーによるものではなく、どこか超越的な地点（存在）から地球人に向けて伝えられたものだと考えるべきだろう。普通に考えれば、その最有力候補というべきは、現在ヤンジャンで襲来している宇宙人（？）達の存在ではないか。彼等は明らかに地球人とは異なる外見をしている上、その技術力は圧倒的で、ガンツの装備との類似点も見受けられる。
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<![CDATA[ 　またまた『ＧＡＮＴＺ』について少々…。とりあえず、黒い球体ガンツは地球上のテクノロジーによるものではなく、どこか超越的な地点（存在）から地球人に向けて伝えられたものだと考えるべきだろう。普通に考えれば、その最有力候補というべきは、現在ヤンジャンで襲来している宇宙人（？）達の存在ではないか。彼等は明らかに地球人とは異なる外見をしている上、その技術力は圧倒的で、ガンツの装備との類似点も見受けられる。では、彼等がガンツのテクノロジーを（ハインツの娘の口を経由して）地球に伝えたのだろうか。<br />　確かにそれも可能性が高いシナリオだと思われるが、もちろん別のシナリオも考えられる。例えば、「彼等宇宙人達すら、ガンツのテクノロジーによって地球に送り込まれたものはないか」というもの。つまり、現在襲来している宇宙人達も、従来の星人たちと同類ではないかという可能性だ。その場合、ガンツを地球に送り込んだのは別の超越的存在ということになるだろう。<br />　その一つの根拠は、今までの敵も「星人」と呼ばれており、宇宙からの存在だった可能性も高いという点だ。もちろん、星人達が本当に宇宙から来たかどうかは未実証だが、星人と呼ばれている以上、何らか宇宙と関係があると考えた方が良いだろう。<br />　しかし、今回の宇宙人達が従来の星人達の延長であると考えるのは無理がある。今までのようにガンツを経由して現れたわけではないし、そもそもガンツはもはや機能しておらず、中の人間も離れてしまっている。それに、以前から「カタストロフィ」という特別な状態が起こることは予期されており、それがガンツのイベントとは断絶したものであることも状況的に明らかと思われる。もう少し言えば、ガンツの一連のイベント（ミッション）は、全て今回の襲来（カタストロフィ）に向けて起こっていたと考えるのが自然ではないか。<br /><br />　かといって、現在襲来している宇宙人達がガンツのテクノロジーの保持者達だとしたら、一つ根本的な疑問が湧き上がる。なぜ彼等は地球にそれを伝えたのか。この疑問が重要なのは、それが彼等にとって不利になるからだ。少なくとも現時点でもガンツによって与えられた武器は正常に機能しており、宇宙人達にとっても最大級の脅威となりうる。ガンツのテクノロジーを地球に伝えたところで、デメリットしかないのだ。<br />　ここで、「それは宇宙人達の気まぐれで…」的な推論をしても説得力はないだろう。宇宙人達もガンツのテクノロジーを所有してはいるが、それを地球人に伝えたのは別の存在であると考えた方が素直ではないか。それに、単に宇宙人達が全てのカギを握っていると考えては、セバスチャンの存在が説明つかない。確かに宇宙人達のテクノロジーや物量、残虐性などは脅威だが、それらは全て物理法則的な摂理の範囲内にすぎないのに対し、セバスチャンが行なった一連の行為（飛行機を墜落させるなど）は、それすらも超えた超常的な能力だ。現時点では、セバスチャンこそが神に最も近い存在だと言えるだろう。<br /><br />　前々回の議論とも繋がるが、この「神に近い」という点は重要だ。ガンツにおける神学的要素として、グノーシス主義的なものが見出されることは、改めて指摘する必要もないほど明確だ。グノーシスとは、エヴァ的な世界観でもあるけど、ようするにこの世界は悪の創造主によって創られたものであるというキリスト教異端説だね。そこではヘビ（ルシファー）が人間の味方であって、知恵の実を与えたのも、人間が知恵によって悪しき神に対抗するためだと説明される。例えば、ローマのミッションの前に「人間は知恵によって対抗しなくてはならない」的な発言があったけど、あれは明らかにグノーシス的な世界観を表した台詞だよね。では、悪しき神とは一体誰なのか。<br />　ちょっとゴチャゴチャしすぎたかな。ここら辺で一度、現時点での俺の推論をまとめておこうか。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-21T15:26:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ＧＡＮＴＺ２</title>
<description> 　前回に引き続いて、『ＧＡＮＴＺ』の話。結局、黒い球体ガンツの謎については、分かったような分からないような感じだ。少なくとも、それが人間（地球人）によって造られたことは確認したが、それはあくまで物理的な組み立てといったレベルであって、理論や設計などはどこか超越的な場所にいる者（？）が行なっていて、ハインツの娘を通して伝えられるということのようだ。　ガンツの機能を簡単に言うと、１．死んだ人間を生き返
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<![CDATA[ 　前回に引き続いて、『ＧＡＮＴＺ』の話。結局、黒い球体ガンツの謎については、分かったような分からないような感じだ。少なくとも、それが人間（地球人）によって造られたことは確認したが、それはあくまで物理的な組み立てといったレベルであって、理論や設計などはどこか超越的な場所にいる者（？）が行なっていて、ハインツの娘を通して伝えられるということのようだ。<br />　ガンツの機能を簡単に言うと、１．死んだ人間を生き返らせる　２．装備を与える　３．バトルのフィールドへ転送する　３．星人と呼び寄せる　４．戦いが終わったら再び部屋へ転送し採点する　５．１００点に達すると特典が与えられる…といった具合だろうか。とりあえず、玄野たちの周辺で起こる非日常的な出来事は、基本的に全てガンツの機能だという理解で挙げてみた。中には、ガンツの機能とは直接関係ないものもあるかもしれない。<br />　とりあえず、最初の驚異は、死んだ人間を生き返らせるということだね。玄野は電車に轢かれた瞬間に、ガンツによって部屋へ転送された。この時点で、世界の根底が揺らぐだろう。常識が覆されると言っても良い。つまり、俺達が理解している「自然の摂理」は実は誤り（不完全）であり、（表面的な）人の死は「終わり」ではないということが証明されたわけだ。さらに言えば、この世界はゲームのフィールドのようなものであり、死によって、リセット→リスタートすることができるということになる。<br /><br />　これを説明するには「魂」という概念が不可欠になるだろう。特に、心身を分断する二元論ではなく、心、つまり魂の方に身体が従属するという世界観を受け入れることが必要だ。魂を自由にコントロールする装置があれば、付随する身体の方も自由にコントロールすることができるということになる。ちなみに、エヴァンゲリオンもそのような設定だね。<br />　ここで言う魂とは、人間が人間である為の根幹のようなものだ。具体的な例を挙げよう。ガンツによって選ばれた人間が死ぬと、その魂がガンツによって回収され、転送される。魂が転送されると、それに伴って身体の方も転送されるので、結果的に人間そのものが転送されるということになるのだ。この世界観では、人は死んで無になるわけでななく、魂の存在になる。そして、魂さえあれば身体も伴って復活できるというわけ。<br />　という具合に、死んだはずの玄野たちが再び生を得ること自体は説明できる。次に気になるのは、ガンツの中には人が入っているという点だ。あれは一体なんなのか。まず考えられるのは、生体コンピューター的な発想だ。地球上の科学技術だけでは足りず、人間そのものをガンツに組み込むことにより、超高度な生体コンピューターにするということ。『攻殻機動隊』的発想とも言える。<br />　もう一つは、中の人間の脳内世界、つまりインナースペースを使用するという可能性ね。生体コンピューターとも通じるけど、あえて言うなら『マトリックス』的発想と言えるかな。玄野たちの魂をどこにでも転送することができるのだとしたら、中の人間の脳内に転送することも原理的には可能だろう。星人などの存在も、脳内に送り込まれたウィルス的存在だということになる。<br />　だが、実際に玄野たちが現実世界において戦っているのは明白で、脳の中の仮想空間に転送されるわけではなさそうだ。かといって、中の人間の脳内世界が関係するという可能性を却下してしまうのは早計だろう。こういう可能性はどうか。中の人間はガンツによって夢を見せられている。ここまでは『マトリックス』に近い発想だ。その夢の中の世界は現実世界と相似だが、そこには星人と呼ばれる連中が跋扈している。そして、その夢は現実世界に反映され、現実化・実体化した星人たちが玄野たちに襲いかかる…と。星人とのバトルの際に移動可能エリアが設けられているというのが一つのカギだ。特定のエリアだけに対して夢の中の世界を反映できるという説明ではどうだろうか。<br />　ちょっと勝手な妄想も多いけど、的を射ている分析もあると思うんだけどねぇ…。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-19T00:55:36+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ＧＡＮＴＺ</title>
<description> 　俺は意外と（？）マンガを読まない人間で、毎週目を通しているのはヤングジャンプの『ＧＡＮＴＺ』くらいかな。あとはモーニングの『バガボンド』をたまに…。どちらかというと『バガボンド』の方が有名なんだろうね。一応『スラムダンク』の作者の作品だし、社会現象にすらなった時期があった気がする。　それに比べると、やはり『ＧＡＮＴＺ』はマイナーかな。単行本もずいぶん売れているようだし、映画化も決まったというのに
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<![CDATA[ 　俺は意外と（？）マンガを読まない人間で、毎週目を通しているのはヤングジャンプの『ＧＡＮＴＺ』くらいかな。あとはモーニングの『バガボンド』をたまに…。どちらかというと『バガボンド』の方が有名なんだろうね。一応『スラムダンク』の作者の作品だし、社会現象にすらなった時期があった気がする。<br />　それに比べると、やはり『ＧＡＮＴＺ』はマイナーかな。単行本もずいぶん売れているようだし、映画化も決まったというのに、なぜか大きなムーブメントになっている感覚がない。そういえば、アニメにもなってるんだよね。地上波で放送したのかどうかは知らんが…。少なくともヤングジャンプでは看板作品として推しているけどね。まんだらけ秋葉店でも、エスカレーター付近の特別棚のコーナーに置いてあるし。<br />　まぁ、一般的な知名度が高くないのは仕方がないにしろ、非常に凝った設定のマンガだし、深読みできそうな謎が山ほど盛り込まれているというのに、「謎解き」的な盛り上がりがいまいち見えないのは何故なのか。『エヴァ』ほどではなくても、もっとネット上などで論争になったりしても良いような気はする。いや、実は盛り上がっているのかな。俺があまりネットをチェックしない人間だからね。<br />　一つ盛り上がりづらい理由を挙げるなら、「作者がどこまでマジで書いているのか分からない」というのがあるだろう。明らかにネタ的な悪ふざけも多いし、あまり深く考えずに書いているのではないかと思える箇所もある。『エヴァ』以来、みんな物語不信に陥っているのか、「メチャクチャやって、謎だけ残して終わらせようとしていないだろうか…」とキレ気味の意見を持つ読者も多いようだ。確かにそういう危険性もなくはないけど、俺の印象としては、意外と真摯に書いているな…といった感じ。特に、いよいよ謎が解明されようとしている昨今、かなり丁寧に着地点を模索しているようだ。<br />　というわけで、俺なりに『ＧＡＮＴＺ』を読解してみたい。まぁ、そこまで読み込んでいるわけでもないし、単行本を買っているわけでもないから、うろ覚えで書くことになるけど、そこはご勘弁…。ちなみに、先週号のヤンジャンの内容までを網羅するから、ネタバレに気をつけていただきたい。<br /><br />　まず、ガンツとは何なのか。ここで言うガンツとは、もちろん作中の黒い球体のこと。これについては、今ではかなりの程度答えることができる。あの球体を製作したのはドイツにある企業なのだが、それはあくまで物理的な製作で、理論などは超越的存在からのメッセージによっている。メッセージは、その企業の社長であるハインツの娘の口から伝えられる。この辺りのことは、裏を読んだりせず、事実だと受け止めた方が良さそうだ。<br />　ハインツの娘は、本当に単なるスピーカー程度の役割しか持っておらず、超越的存在がどのようなものであるのかは謎のままだ。物語の鍵を握ると見られるドイツ人セバスチャンは、超越的存在について「アカーシャクロニクル（神秘主義的な概念で、この宇宙の全歴史が収められている装置のようなもの）」というメタファーを使って触れたが、これもあまり深読みする必要はないだろう。ベルリン（伯林）に飛行機が墜落したのも、セバスチャンが未来を読んだというよりは、セバスチャンの力によって墜としたと考える方が自然だ。となると、超越的存在とは、まさにセバスチャン自身のことだとなりそうだ。あるいは、セバスチャンは超越的存在にアクセスできる存在だということか。<br />　この作品において、神の概念は非常に重要だ。もう少し言えば、「神とは何なのか」というのが『ＧＡＮＴＺ』の主題とも言えるわけで、その超越的存在＝神だと考えるならば、それがアカーシャクロニクルのようなものなのか、あるいは実体を伴った存在（セバスチャン）なのかと考えることの意味は大きい。しかし、カタストロフィの発動により、超越的存在＝神の候補となる別の存在が現れ、事態はさらに混迷を極めている。最新号で明示された通り、異星人と思しき連中のことだね。ガンツの超高度なテクノロジーも、彼等のものだと考えれば納得がいく。実際、異星人達はガンツスーツのようなものを着ていた。しかし、なぜ彼等が地球にガンツを送り込んだのかは分からないし、過去に戦った「星人」達との関わりも謎だ。というわけで、次回に続けようかな。 ]]>
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<dc:date>2009-11-17T00:39:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ネットワーク状の敵３</title>
<description> 　前回は「ネットワーク状の敵」という存在が現実社会において、国際的なテロリストとして、さらにはインターネットを介した犯罪集団として現れているということを確認した上で、メディア上の創作物語においても一つの流行の主題となっていることをも見たわけだ。具体的には『踊る大捜査線』を挙げたけど、アニメで言えば『攻殻機動隊Ｓ．Ａ．Ｃ　２ｎｄ　ＧＩＧ』でも「ネットワーク状の敵」と呼ぶべき存在が出ていたね。　一部で
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<![CDATA[ 　前回は「ネットワーク状の敵」という存在が現実社会において、国際的なテロリストとして、さらにはインターネットを介した犯罪集団として現れているということを確認した上で、メディア上の創作物語においても一つの流行の主題となっていることをも見たわけだ。具体的には『踊る大捜査線』を挙げたけど、アニメで言えば『攻殻機動隊Ｓ．Ａ．Ｃ　２ｎｄ　ＧＩＧ』でも「ネットワーク状の敵」と呼ぶべき存在が出ていたね。<br />　一部でカルト的な人気を誇る当作品だけど、やっぱり一般的にはマニアックすぎるかな。特に２ｎｄはかなり混み入った話だし、地上波で放映したのも深夜の時間帯だったから、全話見た人自体が少ないと思われる。簡単に言うと、日本政府が難民を受け入れはじめたことに反発するテロリスト達が出てくる物語なんだけどさ。実は、電脳（電子化された脳のこと）が「個別の１１人」というウィルスに感染することによりテロリストになってしまう…というカラクリで、誰がテロリストであるかは一瞥しても分からず、それが「姿の見えないネットワーク状の敵」となっていくという構図だ。<br />　言うまでもなく、「ネットワーク状の敵」の恐怖は、どこにその「敵」が潜んでいるのか分からず、一般人の中にも容易に紛れ込んでしまう点だろう。こちらからは「敵」の姿が見えないのに、「敵」からはこちらの様子が見えているという、視線の非対称性こそが恐ろしいのだ。しかも、今まで「味方」だった者が、突如「敵」に目覚めることもありうるし、「味方」だと思っていた者が実は最初から「敵」だったという可能性もありうる。<br /><br />　ここまで話を拡張すると、創作物語の中に同様の主題を見つけることはさらに容易になるだろう。例えば、ＰＣエンジンの『スナッチャー』というゲームがある。というか、これも恐らくマニアックすぎてほとんどの人は知らないのだろうけど…。元々はパソコンのゲームで、ＰＣエンジンに移植されたものを俺はプレイしたけど、サイバーパンクアドベンチャーゲームの金字塔だ。まさに「ブレードランナー的な世界観」というやつで、いまだにファンが多い。<br />　で、その中にはスナッチャーという「敵」が存在するのだけど、彼等は人造人間の類で、人工皮膚をまとうことにより外見的には人間と区別がつかなくなるという、恐ろしい殺戮兵器なのだ。自然と、「俺の隣にいるこいつは、実はスナッチャーかもしれない」という恐怖感が作品のテーマとなっていく…。<br /><br />　ここで再び現実に目を向けるとしよう。「ネットワーク状の敵」の真の恐ろしさが「俺の隣にいるこいつは○○かもしれない…」という不透明性にあるということを確認したわけだけど、『攻殻』と『スナッチャー』の例を見た俺達には、それがテロリストや犯罪集団のメタファーであるだけでないことは明白だ。この手の疑心暗鬼が、世の中の多くの差別を生んでいるのだ。<br />　ユダヤ人差別の問題もそうだろう。ユダヤ人差別が、有色人種差別のように目に見えやすい差別に留まらず、陰謀説のような大掛かりなものに発展した理由は、彼等が一見しただけではユダヤ人だとは分からず、普通に日常生活に紛れて暮らしていることが挙げられると思う。日本の問題でいえば、在日朝鮮人差別や、部落差別なども、「俺の隣にいるこいつは○○かもしれない…」という疑念によって助長される差別であると言えよう。他にも、ある種の宗教の信者であるとか、同性愛者であるとか、あるいはエイズであるとか、外見だけでは分からないことで行なわれる差別というのは、この種の思考回路によって歪に増幅される。人間は、「良く分からないもの＝ネットワーク状の敵」であると勝手に思い込み、過剰に排除しようとする。本来は敵ではない者に対して戦う愚を演じないようにせねばならないだろう。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-11-15T17:14:40+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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<title>ネットワーク状の敵２</title>
<description> 　最近、「ネットワーク状の敵」という概念が流行っている（？）ように見受けられる。例えば、様々な犯罪やテロに対する批評家の常套句として、あるいはインターネット社会への警鐘として、よく使われているということでね。その特性としてはこうだ。姿が見えず、連帯してはいるのだが必ずしも意思統一されておらず、個々の動機などは必ずしも同一でない…。すなわち、結節点（ノード）としての個別の主体をいくら捕獲していっても
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<![CDATA[ 　最近、「ネットワーク状の敵」という概念が流行っている（？）ように見受けられる。例えば、様々な犯罪やテロに対する批評家の常套句として、あるいはインターネット社会への警鐘として、よく使われているということでね。その特性としてはこうだ。姿が見えず、連帯してはいるのだが必ずしも意思統一されておらず、個々の動機などは必ずしも同一でない…。すなわち、結節点（ノード）としての個別の主体をいくら捕獲していっても、敵は次から次へと現れ、しかも彼等はお互いを知らない可能性も高く、一網打尽にするのが難しい。しかも、どこから攻撃してくるかも分からず対処する良策も見出しがたい…ということになる。<br />　そこにあるのは一つの「大きな目的」だけだ。個々の主体がその目的に向かう「動機」はバラバラであるのだが、総体としては一つの群体のような様相を見せ、神出鬼没な行動を取ることができる。その意外性は強みであり、敵対するものが組織的で巨大であるほど、その攻撃力は増していく。例えば、国家に対するゲリラ部隊やテロ活動がその最も有名な例だ。少なくとも、世界最大の軍事大国たるアメリカを追い込んだのは、冷戦期のソ連などではなく、ベトナム戦争であり、９・１１だったはずだ。<br /><br />　相手が組織的で一元的であれば、それに同次元で対抗するには相手以上の兵力・組織力を持ってせねばならない。しかし、こちらが非組織的・多元的になることにより、戦う土俵を根本的に変えることで対抗することができるというわけ。最近ではインターネットの存在などにより、全く思想的背景を異にする者達が、目先の「大きな目標」を共有することにより連帯することもできるようになった。闇サイトなどで仲間を集った犯罪なども起こり、問題となっているのは周知の通り。<br />　このように、世界が巨大権力により秩序付けられていく現状に対抗すべく、「ネットワーク状の敵」となる、もしくは「ネットワーク状の敵」を形成するシステムを作ろうという動きが活発化しているようだ。民主主義を強く掲げる点で、いわゆる「ネットワーク状の敵」とは切り離されるが、ネグリ＆ハートの「マルチチュード」という概念もそれに近いものがあるだろう。テロやゲリラなどは国際法的基準から見れば正当化しがたいが、巨大権力に対抗するには、それしかないというのも頷ける。<br /><br />　個人的に興味深いのは、この「ネットワーク状の敵」がメディアの作る創作物語にも頻出し始めているという傾向だ。旧来の創作物語では、善ＶＳ悪という冷戦的二元論が周流だったが、冷戦終了辺りには「はたして善と悪とを明確に分けることができるのだろうか」という保留が行なわれることがトレンドとなったように見受けられる。思想史的には、ヘーゲル・マルクス的史観から、構造主義・ポスト構造主義への移行とパラレルだとも言えるだろう。<br />　そして、９０年代には「善側も悪側も多元的で、単なる結節点の集合ではないか」というもう一段階上の相対主義が表れた。そろそろ具体例を出した方が良いだろうか。例えば、日本実写映画史上の金字塔となった『踊る大捜査線』。これは１と２の二作あるが、どちらも犯人が存在感の薄い扱いとなっており、巨大組織などではなく、姿の見えないネットワーク状の敵であることが明示される（特に２はモロにそれがテーマだ）。犯人側に魅力がないというのは、旧来的な価値観から見れば明らかに失敗作となる要素だ。しかし、『踊る～』は「犯罪の恐怖」という概念は、「個別の主体による恐怖」ではなく、「個別の主体が見えないという恐怖」にこそあるのだと転換した。俺の考えでは、その戦略が必ずしも成功したとは思わないが、そういった「ネットワーク状の敵」という存在がリアリティを持ったことも事実だった。「俺達にとって何が敵なのか」という問題を考えるにも、良い題材かもね。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-14T16:08:43+09:00</dc:date>
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<title>ネットワーク状の敵</title>
<description> 　ネグリ＆ハートは、グローバルな秩序形態であり、ネットワーク状の権力である〈帝国〉という概念を打ち立てた。それは世界的・歴史的な傾向であり、世界規模に秩序を維持するには不可避にも見える形態であるが、〈帝国〉による支配は恒常的な戦争を生み出すとされる。簡単に言ってしまえば、世界は様々な価値観に覆われており、多様性を必然的に孕むので、どうしても統一することなどはできない。それを、総体として秩序立てるに
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<![CDATA[ 　ネグリ＆ハートは、グローバルな秩序形態であり、ネットワーク状の権力である〈帝国〉という概念を打ち立てた。それは世界的・歴史的な傾向であり、世界規模に秩序を維持するには不可避にも見える形態であるが、〈帝国〉による支配は恒常的な戦争を生み出すとされる。簡単に言ってしまえば、世界は様々な価値観に覆われており、多様性を必然的に孕むので、どうしても統一することなどはできない。それを、総体として秩序立てるには、恒常的に戦争をし続けるしかないということだ。そして、そういった戦争し続けることによる秩序体こそが〈帝国〉だと言っても良いだろう。<br />　戦争をし続けることが秩序になるとはどういうことか。一般的には、戦争とは「平和」であるとか、「秩序」の対義語のように思われているが、実は違う。クラウゼヴィッツが『戦争論』で提示したように、戦争とは正当な外交手段の一つであり、政治の延長なのだ。ちなみに、平和や秩序の対義語は、例えば「混沌」などという言葉だね。もう少し言うならば、戦争は合法だが、テロや革命は（基本的には）非合法だ。<br />　全てがメチャクチャにならないように、整然と殺戮し合う…それが戦争なのであって、歪ではあるが、そこにはちゃんと秩序が存在する。戦争犯罪はきちんと取り締まられるし、軍法・軍律の厳しさは、平時の警察による取締りの比ではない。<br /><br />　しかし、以上のような〈帝国〉論はアイロニカルなものであって、それが理想状態ではないことは間違いないだろう。すでに現代社会は恒常的な戦争状態に入りつつあり、それは不可避にも見えるが、ネグリ＆ハートはマルチチュードという概念を使って、それを超克しようと試みる。この巨大な権力である〈帝国〉から、そのグローバルな連帯的側面を上手く相続し、新階級による新（真）民主主義を構築しようということだ。この辺りはやや風呂敷を広げすぎている印象もあるけど、現状認識としては正しいと思うし、惹かれるものがあることは否めない。<br />　ただ、ネグリ＆ハートも懸念しているように、現在の世界において「ネットワーク状の敵」という存在が現れていて、これにどう対処するかが問題だ。具体的には、テロリストのことだと言って良いと思うけどね。〈帝国〉とマルチチュード、どちらもグローバル化する世界において、国境の枠に縛られない連帯をキー概念として掲げているが、〈帝国〉にとってもマルチチュードにとっても敵となるテロリストも、「国境の枠に縛られないグローバルな集団」になっていることは皮肉だ。<br />　ようするに、権力の側も、そこに生きる人々も、権力を破壊しようと目論む敵も、全てがグローバルで、顔の見えない連帯によって支えられているということだろうか。結局、ネグリ＆ハートの言うように国境という概念が失効しつつあるとしたら、国家間の自由な移動や、運動のための諸勢力の連帯が隆盛になるのは当然の帰結だろう。そういった傾向があることは間違いない。少なくとも、テロリスト達は、日本赤軍と北朝鮮、あるいはイスラム社会などが連携したように、かなり以前からグローバルな連帯を掲げている。<br />　もう少し言えば、グローバルな〈帝国〉とグローバルなテロリストとの対抗のうちに、グローバルなマルチチュードが生まれるという、弁証法的なプロセスを踏むということなのかもしれない。権力側がグローバルになっている以上、それを破壊する側もグローバルになるのは当然だ。それに、正規の戦争を仕掛けるのでは、まさに〈帝国〉の思う壺だ。戦争こそが〈帝国〉の秩序の源だからね。となると、戦争ではなく、無秩序で非合法なテロリズムに訴えるしかない。そんな「ネットワーク状の敵」に対抗するのは、なかなかに大変だ。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-12T00:27:41+09:00</dc:date>
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<title>思想と経済</title>
<description> 　現在、日本の思想界における左翼陣営は意気消沈気味で、右傾化と呼ばれる状態が続いていると言われている。それは世界的に見ても同様で、グローバリズムの裏返しとも言うべきナショナリスティックなイデオロギーが拡大しつつあるように見える。資本主義や自由主義の席巻、あるいは移民の流入などに対抗し、自分達の国家的、民族的、宗教的コミュニティを護持すべく、過度に排他的になってしまう傾向があるようだ。他民族や他国民
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<![CDATA[ 　現在、日本の思想界における左翼陣営は意気消沈気味で、右傾化と呼ばれる状態が続いていると言われている。それは世界的に見ても同様で、グローバリズムの裏返しとも言うべきナショナリスティックなイデオロギーが拡大しつつあるように見える。資本主義や自由主義の席巻、あるいは移民の流入などに対抗し、自分達の国家的、民族的、宗教的コミュニティを護持すべく、過度に排他的になってしまう傾向があるようだ。他民族や他国民などとの交流が活発になるときこそ、実はナショナリズムが台頭するというのは、皮肉だけれども歴史の必然だ。<br />　例えば、かつてナチスドイツによる猛烈なユダヤ人排斥が行なわれたけど、あれだって元々ドイツにユダヤ人排斥の空気があったわけではない。むしろ、第一次大戦後、ヨーロッパ諸国では比較的ユダヤ人差別がなかったからこそ、ドイツにユダヤ人がたくさん流入してきたのだ。そして、たくさんのユダヤ人が流入してきたことにより、ドイツの若者達は一気に職を奪われてしまったりして、ユダヤ人への憎悪が急激に高まったんだよね。適度に距離を置いているうちは友好的でも、その距離が急激に狭まったときこそが危ないという好例だ。<br />　そして、この構図はまさに現在の世界においても古びていない。フランスなどは、積極的に移民を奨励していたが故に、少し前に大規模な移民排斥運動があった。また、アメリカに対するイスラム諸国の憎悪は、元々はソ連のアフガン侵攻の際に、アメリカ軍が中東に駐留したことが原因とされている。少なくとも、ビンラディンなどは、当初はアメリカ側だったのが、アメリカ兵達の態度や佇まいを間近で見ることにより、反アメリカを心に誓ったという。やはり、異なる民族や文化などが接する所は火種となるのだ。<br /><br />　改めて、そういった現状、すなわちグローバル化によって引き起こされた紛争や対立などを眺めると、古典的左翼的の「絶対平和主義」や、「経済的格差・階級の消失」などといったスローガンが、なんとも非現実的な夢想的なものに見えてきてしまう。そこで、上記のような世界規模での悪循環的傾向を打開すべく、左派的な見地で孤軍奮闘しているのが、ネグリ＆ハートではないかというのが前回の主張だったわけだ。<br />　ところが…、そういった思想的な面ではいまいち左翼が元気なかったというのに、昨今の経済事情により、にわかに経済の方は左派的な展開を見せている。突然『蟹工船』が見直されたりしてね。つまり、あまりに経済が冷え切ってしまったため、救済を求める声が多くなり、にわかに「再配分・格差是正」の動きが加速しているということ。これは明らかに左派的な政策だ。日本やアメリカは勿論、基本的に世界的な潮流だよね。<br />　こういった状況は、言葉にすると何とも当然の現状確認に見えるが、実はかなり注目に値する現象なのではないか。改めて言うと、国家や民族、宗教などを護持するため、排他的な紛争なども起きているという現状を鑑みた場合、思想の世界は非常に右傾化しているように見える。しかし、経済的には、世界的な傾向として、資本主義社会の見直しが進められ、格差の是正や再配分の強化が図られ、最低限の生活さえ窮乏するような人々を救済しよういう動きが見られるなど、非常に左傾化しているように見える。<br />　これは、いよいよ本格的に右・左という枠組みが崩壊してきた証左ではないのか。というか、右翼・左翼という概念自体が多元的であり、しかも本来必ずしも対立するものではなかったはずなのに、強引に対立してきた歴史があったわけだ。その無意味さが浮き彫りになり、新しい軸で見なくてはいけない時期が来たということではないのだろうか。 ]]>
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<title>ネグリ＆ハート</title>
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<![CDATA[ 　数年前に、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの仕事がずいぶん話題になったけど、その話題性のわりにはあまり後続がいないというか、少なくとも日本の論壇でネグリ＆ハートの〈帝国〉だのマルチチュードだのという概念を継承して論旨を組み立てているような論客はいないように見受けられる。<br />　その理由としては、ネグリ＆ハートの術語自体が抽象的というか、具体的にそこから現実政治の問題に昇華しづらいという面があると思う。射程が世界規模でスケールは大きいけど、その分、日本の問題に応用しづらいというかね。やっぱり、日本の論壇は日本の実情を考えるので精一杯だから…。<br />　あと、論壇の思想区分の問題として、左翼陣営が勢いないからね。どうしてもネグリ＆ハートといえば「ああ、左翼ね」という一言で回収されてしまうことが多いようだ。現在の日本では依然として右、保守の陣営が強い。右も左も認めたがらないとは思うけど、やはり小林よしのりの『戦争論』以降の傾向だとは思うけどね。ゴリゴリのマルキストは勿論、普通に政治集会みたいなことをやってる左翼も、ＫＹ的な目で見られてしまうことが多いようだ。「キレイごとばかり言いやがって…」みたいな具合でさ。<br /><br />　確かに、一般的には左の陣営の言うことはキレイごとが多い。理想論やユートピア幻想とでもいうかね。マルクス主義なんかはもう典型的にユートピア志向でしょう。この腐敗した資本主義社会に労働者による革命を起こし、階級のない理想的な世界を作ろうということだから…。まぁ、そこまでいかないにしても、一般的な左陣営を見ても、やはり「世界市民」、「絶対平和主義」みたいな具合に、国家や民族などに懐疑的で、「人類皆兄弟」といったキャッチフレーズで動いている印象はある。<br />　だが、世界的な傾向として、国家や民族などの持つ固有の文化を護持していこうという、右寄りな思想の方が隆盛だ。必ずしも右、左というカテゴリーとは合致しなくても、自らの属するコミュニティのアイデンティティを守っていこうというのは、もはや一つの常識だと言っても良い。世界に同一の価値観を広めようという思想こそ、争いの火種となるものだということになる。<br /><br />　そんな風潮の中にネグリ＆ハートが現れたわけだから、やはりあまり良く思わない人達がいたのも当然だろう。しかし、その著作は正統な政治学の王道を踏まえているし、右寄り・共同体主義的論説が多い昨今、逆に刺激になる面もある。それに、ネグリ＆ハートはグローバルな権力である〈帝国〉を賛美しているわけではなく、むしろそれに対抗するための、マルチチュードという概念を提唱しているのだ。<br />　この辺りはやや抽象的だけど、ようするに、例えば人民と言った場合は、どうしても差異のない統一体を思わせる。あるいは、群集といった場合は、単なる無秩序な群体を思わせる。そういった概念とは違い、マルチチュードとは、特異性を持ったもの同士が、能動的に連帯する社会的主体なのだと説明される。やっぱり良く分からないけどね。<br />　世界規模で覇権を拡大している〈帝国〉に対抗するには、やはり必ずしも国家という枠組みに縛られない人々の連帯が必要だということになるわけだ。この〈帝国〉という概念も厄介だけど、帝国主義的なものだとか、あるいは具体的にアメリカ合衆国のこととかではなく、もう少し抽象的な、普遍主義的なものを押し付けてくる巨大な歴史の潮流のようなものだと受け止めて良いのではないか。実際、現代の社会は、どこの国がというレベルでなく、先進諸国などの価値観（資本主義や自由主義、民主主義など）を世界的に広めようという動きがある。巨大な単一化に対抗するには、差異を内包した連帯が必要だということ。<br />　やっぱり理想論な感は否めない気がするが…。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-09T00:34:18+09:00</dc:date>
<dc:creator>批評学園</dc:creator>
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