批評学園

日常・非日常を批評するブログ。

 もう七月も終わりですねー!今年は冷夏だっていう予想になってるみたいだけど、どうなるやら。
 でも、冷夏だとしたら、93年を思い出すよね。米不足だ、タイ米だなんていってさ、懐かしいね。この平成の世に何言ってるんだって感じだったけど、まぁ、今回はもうそんなことはないでしょう。あれから、随分と米作りの方も管理が行き届いてるらしいし。
 ていうか、93年って最近ブログ内で言ったな…あ、Jリーグが開幕した年だ。
 他には何があった年なのかなぁ…と思って調べてみると…。
 まずは、釧路沖地震、能登沖地震、北海道南西沖地震…って、随分と地震があったんだね。これは、ちょっと今年と似てるなぁ。
 後は…自民党が衆議院選で大敗して、細川内閣が誕生、55年体制の崩壊!そうか、これがあったね、93年といえば。こりゃ、ますます今年に似てるじゃないの。
 なんだか微妙に、「歴史は繰り返す」…みたいでイヤだね。
 みんな、この停滞感、閉塞感がキツイわけでしょ。なんでもイイから、前に向かって進んでほしい、みたいに思ってる時に、この繰り返し感は生理的にイヤだね。
 特にバブル崩壊以降、ずっと日本人が感じてきた閉塞感、慢性的な倦怠感があるわけだ。人類は進歩するという神話を共有できなくなって久しいけど、そこから、この閉塞感を受け入れて、個々に毎日を楽しむことを最重要課題としていこうっていう思考様式が定着した。使い古された言葉を使えば、ポストモダンの世の中になったってことだけどね。
 そういう考えって、日本では特に80年代前半辺りに一気に蔓延した考え方なんだけどさ。それは、全共闘運動に失敗して、オイルショックだなんだって不況になって、バブル崩壊を以て、決定的になったものだけどね。でも、やはりどこか厭世的な思考様式だから、乗り切れない人には精神的にキツイ。

 でも、今、不況だなんだって叫ばれてるのだって、格差の問題とかが多いじゃない。それって、景気の問題じゃなくて、社会構造の問題でしょ。
 そういう意味じゃ、政府主導のネオリベラリズム的方向性とかに対して、もっと非難するべきだと思う。その鬱屈した怒りの矛先が、中国や韓国、アメリカに向けられるってんじゃ、前向きじゃないよ。下流の右傾化なんて叫ばれてるけど、もっと政府に対して怒った方がイイんじゃないのかな。
 生活が厳しいからって、怒りが外国人労働者に向かうとか、失った自尊心を国家の威信を借りて回復せんとするとか、それじゃ20世紀初頭のファシズムを思い起こさせて、なんか不健康な感じがするよ。
 こうなったら、徹底してポストモダンを極めるしかないな。それには、日本が変わってる、生活が変わってるっていう意識を与え続けるような政策を考えるしかない。良くなってる、とは言わなくても、何かが変わってる、っていうだけでイイ。恒常的な差異化のゲームの中でしか、ポストモダンの世に人は生きられないのだ。そりゃつまり、常に祭がある世の中ってことだけどね。最終的には、みんなの脳に電極差し込んで、楽しい夢を見させ続けるしかないかも。
 参院選、結果が出ましたな。普段政治に興味ない人も、今回は注目したんじゃないかと思う。
 俺が注目して、ここでも取り上げた候補者達については…特にコメントすることはありませんな!だって、当選すると思ってないから取り上げてたんだもん。って、こりゃイイ加減なもんだね。
 今回は、自民大敗、民主大勝ってことでまとめられるんだろうけど、正直言って、ここまで明暗分かれるとは思ってなかったよ。まぁ、俺が事前の情報をあまり集めずに、泡沫ばっかりチェックしてたってのもあるけど、事情通を自負する人でも、ここまでの差がつくとは思ってなかったんじゃないかな。
 ホント、選挙なんてのは、なかなか結果が読めないものだけど、やっぱり流れってのがあるからね。ほら、利権ってものがあるからさ、利権が絡んでる人達ってのは、議員になった人に恩を売らなくちゃ意味ないわけでしょ。だから、趨勢を見極めて、勝つだろうと思われる人に対して、自分の動かせる票を出来るだけ価値を高めて差し出そうとするわけだ。世論なんかを見て、自民党を応援してもダメだと思ったから、見切りをつけて、急遽民主党に擦り寄ったって人達が沢山いたってことだと思うよ。だから、これだけ差がついたのは、事前に自民が大敗するかもしれないという噂をが流れたのも大きいと思う。そういう動きは、株なんかとも似てるよね。

 まぁ、でも今回自民党が大敗したのは、元を辿っていけば小泉さんに行き着くでしょう。やっぱり小泉さんは、自民党をブッ壊していたんだよね。自民党という組織も、その支持基盤もさ。それでも小泉さん自身の求心力で自民党をまとめあげていたから、表面的には安泰だったわけだけど、小泉さんがいなくなったら、そのブッ壊れたのが露わになったって感じだ。
 たぶん、今回民主党に入れた人達は、前回の衆院選で、自民党に対しては微妙だけど、小泉さんが好きだから一票を投じた…っていう人達とカブるでしょ。判断基準は、好きか嫌いかっていう程度のものだと思う。
 そういう意味じゃ、決して民主党支持ってわけでもないんだよね。アンチ自民ってだけだから。かなり自民党に対して悲観的な意見が蔓延してるけど、ちょっと自民に風が吹いたら、またすぐに盛り返す可能性はあると思うよ。次の衆議院選だって、ちょっとしたことで自民が大勝する可能性は全然あると思う。
 結局、安定した支持基盤ってものが無くなってきてるってことだからね。一億総浮動票!面白いと思う方に流れていく民!祭のある方に流れていく民!こりゃ本当にイメージ戦略が大事だね。上手く演出やキャラ作りをしたら、一気に天下を取ることができるんじゃないかな。ますますタレント化していると言ってもイイ。こりゃ乱世だね。
 政策で選ばれないとか、強力なカリスマが出現する可能性がある、などと人並みに心配してもイイけどさ。乱世になったら、俺のような人間には生きやすくなるかもしれないから、期待して見守ってようかな。
 参院選一色って感じですが、あえて関係ない話題の方がイイですねー!
 今日は、偶然ゲットしたリンドバーグのCDを聴いてました!こりゃなかなか泣けるッス。
 歌詞とか云々以上に、やっぱり音楽ってのは、それを聴いていた当時の想い出とかがセットになるもんだけど、最近は、具体的な想い出とかがなくても、単に曲自体の懐かしさで、泣けてきたりさ。こりゃ老人みたいな意見だな。
 リンドバーグっていったら、90年代前半だよね。とりあえず、バンドブームっていう範疇には入るんだろうけど、当時のバンドブームといえば、その中心に「イカ天」があってさ。でも、バンドブームとイカ天ブーム、後はビジュアル系ブームってのは、少しずつズレてるみたいだね。
 「三宅裕司のいかすバンド天国」っていう番組によって、バンドブームというものが牽引されていったわけだけど、バンドブームのバンドが必ずしも「イカ天」出身なわけじゃなくて、さらに、バンドブームの中でも特にビジュアル系という人達は独自の注目を集めていた…っていう感じかな。
 ビジュアル系といえば、XとかBUCK-TICKとかさ、その辺は「イカ天」出身じゃないようだけど、AURAなんかは「イカ天」出身のようだね。ちょっと俺も歯切れ悪いのは、実は「イカ天」観てないんだよ。そういう番組を観るような空気じゃなかったのよね、家庭環境が。
 というわけで、少し調べたら、「イカ天」出身のバンドって改めて沢山いるんだと思い知らされた。まずはJITTERIN'JINN とかね、当時はそれほどでもなかったけど、10年後くらいにベストアルバムを買ったら、本当に佳曲が多くて感動したよ。特に「夏祭り」が好きだけど、Whiteberryのカバーはちょっと…って、それはまぁイイか。後は、BEGINとかもね、息が長くやってますな。カブキロックスは、日テレの24時間テレビのグランドフィナーレによく来てるイメージがあったけど、最近はどうなんだろう…。アニメ「ドラゴンクエスト」の『虹の都』は良かったんだけどねぇ…。
 GO-BANG'Sなんてのもイカ天だと思ってたけど、どうもイカ天には出てなかったみたいだね…。プリンセスプリンセスもなんかもさ。
 まぁ、イカ天ってのは、これからブレイクせんとする人達が出る番組だったわけだから、そのきっかけを経由しなかったバンドも沢山あったってのは全然フシギじゃないか。

 ただ、最近はプロデューサーブームといってもイイでしょ、小室、つんく的なね。ルックスの良い若い子を集めてきて、曲を提供するっていうのはさ、それはそれで現象としては面白いと思うけど、やっぱり下積みをしないと人間面白くないからね。その点、バンドってのは実力本位な感じがして好きなんだよ。メジャーデビューした頃には実はイイ年だったりして、音楽人って感じがして良いッス。
 それに、音楽業界でちゃんと生きていけるのって、結局は曲作れる人間だけだしね。アイドルとかって、女優とかバラドルの方向に行こうとはするけど、どうしても微妙になりがちじゃん。使い捨てな感じが見えるというかさ。
 でも、曲を作れる人間が残ってくのはイイんだけど、生き残りの手段として、楽曲提供とかのプロデューサー業をやるからねぇ。結局、それでプロデューサーになるんじゃ少し寂しい。年取っても、声が出なくなっても、自分で作った曲は自分で歌ってほしいねぇ…って勝手なこと言ってるな、俺も。
 最近、アル・ゴアの『不都合な真実』なんてのが話題になってりして、まぁ、俺は観てないし、本も読んでないんだけど、どうなんだろう。ゴアの政治的な思惑やらはとりあえず置いておいて、やっぱり環境問題は気になるとこだね。
 いや、突然環境問題なんか気にして、リベラルぶってるようでアレだけど、ほら、最近の世界規模の異常気象を見てると、さすがの俺もちょっと心配になってるくるのよ。だって、明らかにおかしいでしょ、気候とか天災とかが。現実的な話、暑いのが苦手だから、温暖化とか本当に勘弁って感じだしさ。
 環境問題とかが話題になり始めたのって、ちょうど俺が小学生くらいの頃からだと思うんだけど、当時って、なんか終末的な未来予想図が流行ってたんだよね。公害問題や、後はオイルショックなんかで、高度経済成長も頭打ちになってさ、五島勉の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになったりで、それまでの、「アトム的」な輝かしい未来像に疑問符が打たれたというか、もう世界はこのまま破滅するんじゃないかなんて言われてね。
 それで、オゾンホールやら温暖化やらってニュースが、漠然とした不安に現実的な根拠を与えたような形になってさ。学校でも普通に、人類はこういう形で絶滅すると思われます、みたいなことを習ったもんね。
 ただ、そんな不安がいつの間にかぼんやりと消えたでしょう。いや、あまりみんなが悲壮感を持ってる世の中ってのもアレだけど、事態がなんら改善されたわけでもないのに、環境問題やら人類の終局みたいなものが叫ばれなくなったのは何でなんだろう。
 ということで、色々考えてみると、やっぱり、80年代がポイントかもね。80年代といえば、世界の破滅や終局というものが、サブカルに完全に回収された時代だったと言えると思うんだ。世界の終局というモチーフをメディア内などで反復体験することにより、一種の麻痺状態にしてしまったというか、慢性的にそこから目を逸らすような思考回路を日本人にインストールしてしまったというかね。
 ちょっと抽象的な話になってしまったので、具体例を挙げると、ナウシカやらアキラやら北斗の拳やらといった、世界の壊滅的カタルシス後を描くというのが、一つのサブカルのパターンになったということなんだけどね。90年代に入ると、もう世界の終局とかベタ過ぎてウンザリって感じだったもんね。エヴァが、半ば80年代からのアニメの総決算として世界の終局を反復したので、事実上、アニメ正史における「終局後の世界設定」には決着がついた形となった。サブカル作品という非現実の世界で散々っぱら世界の終局を見せられ続けてきた俺達としては、現実世界での環境問題とか、だんだん熱心に興味を持って耳を傾けるような問題じゃなくなってきていたんだよね。
 それが2000年代に入って、ようやくまた新鮮味を持って受け入れられ始めたという印象だね。単に世界の終局がまた流行りだしたってのもあるだろうけど、しかも今度はある程度の現実的な実感を伴ってなわけだからね。連日のニュース見てれば、誰でも心配になるでしょう。
 自国の経済の発展による利点と、環境破壊による被害を天秤にかけたら、少なくとも短期的には利点の方が大きかったわけだけど、ようやく、環境破壊によるマイナスが利点を上回るような時代になったってことだね。ゲーム理論の用語を使えば、環境に配慮することが経済活動においても支配戦略になりつつあるってことだろうけどさ。環境問題も、結局は経済的利益に適うかどうかという問題なんですな。まぁ、単に地球を守ろうなんていう美辞麗句じゃ誰も動かないって真理か。
 アジアカップ、盛り上がってますね!でも、正直なところ、日本ではどのくらい注目されたんだろう。
 これに優勝すると、コンフェデレーションズカップに出られるんでしょ?でも、コンフェデの知名度って、一体どのくらいなのかね?聞いたことはあるけど、オリンピックやワールドカップに比べたら全然…って程度の反応が普通でしょう。
 確かに、前回のコンフェデは盛り上がったけどね。まぁ日本が出場していたら、盛り上がるのは当たり前か。でも、やっぱり注目はブラジルだったよね。バルセロナ移籍が大当たりした直後だったロナウジーニョが牽引して、さらに、カカ、アドリアーノ、ロビーニョっていう三人がいたわけだからね。本当にスペクタクルなサッカーを魅せてくれた。
 ていうか、まぁ本当はこのままブラジルのサッカーとかについて語りたいとこだけど、今日は敢えて置いておくとしてさ、今、日本でのサッカーの位置ってどうなんだろう。Jリーグが開幕したのが1993年だから、もう14年も経つんだけど、確かに、開幕当初は盛り上がっていた気がする。いや、俺はJリーグに関してはずっとそれほど興味持てなかったけど、カズとか武田とか北澤とかラモスとかいって、なんか新しくてカッコイイ、みたいなイメージだったよね。チーム名だって、巨人とかじゃなくて、ヴェルディとかだよ。ヴェとかいって、野球じゃ考えられない響きだよね。熱狂的なファンも多かったし、サポーターなんていう名称すら異国情緒溢れて聞こえた。
 もうこれからはJリーグの時代だなんていって、野球中継よりも視聴率良かったりした記憶があるけど、今になって思うと、なんか古き良き時代って感じだねぇ。
 なぜこんなにJリーグへの注目がなくなっちゃったんだろう。スター選手、スターチームの不在とか、なんだかんだいって文化的に日本に合わないんじゃないかとか、色々意見はあると思うんだけど、やっぱりサッカーって、野球と違って世界を相手にするものじゃん。で、どうしても、世界との戦いがメインだから、日本国内のリーグって、盛り上がりづらいってのがあるんじゃないかな。
 ちょっとテレビつけたら、リーガエスパニョーラだ、セリエAだ、プレミアだ、ブンデスだって海外リーグで世界最高峰のプレーが観られるわけでしょ。日本に限っても、コンフェデだ、オリンピックだ、ワールドカップだ、交流戦だって、世界の強豪と戦う試合が観られるわけだし、そっちの方が、そりゃ面白いに決まってる。
 プロレスなんかでも、団体対抗戦をやると盛り上がるし、動員も増えるんだけど、あまりやると、自団体内の試合にお客さんが来なくなっちゃうという話を聞いたことがあるけどさ。やっぱり、外国と日本の戦いを観た後に、日本国内のチーム同士が戦ってるの観ても、本気で応援しようっていう気は薄れるわなぁ。
 こうなったら、海外の超一流選手を金で雇って、Jリーグでプレーさせるしかないな。だって、ベッカムとかロナウジーニョとかがJリーグ来たら、みんな観るでしょ。それが日本サッカーのレベルの向上に繋がると思うんだけど…。う〜ん、でも、Jリーグで健気にプレーしてるロナウジーニョは見たくないかも…。やっぱJリーグにはアルシンドくらいがちょうどイイのかな!ていうか、ホント、俺のJリーグ知識は古いデスネー!
 本当に地震は怖いですね!本当に、こんなに怖ろしいものはないと思うんだけど、関東に引っ越してきてからは結構頻繁にあるから、ちょっと慣れてしまったかも。
 まぁ、でもせいぜい震度2とか3程度だからねぇ。震度6とか7とかいったら、どうなってしまうのか想像するのも怖い。いやぁ、学生時代なんかは世界が崩壊すればイイとか考えて悦に入ったりしていたけど、最近は、なるべく世界が安定してほしいとか思ってるからね。人間、年をとると保守的になってイケマセンな!
 でも、ふと考えると、いわゆる関東大震災が起きたのが、確か1923年でしょ。てことは、もう80年以上経ってるってことだもんね。そろそろ来るんじゃないかっていう風評も、根拠の無いものではない気がする。
 1923年ってことは大正時代だよね。1926年が昭和元年のはずだから、大正末期か。まぁ大正は15年間だけだけど。
大正時代ってさ、明治の動乱が落ち着いて、日本が民主主義的、自由主義的な方向に動いてる時期ってイメージがあるよね、大正デモクラシーだなんていってさ。開放的かつ安定的な時代っていうか。経済的にも、第一時代戦のお陰で特需だった…みたいなさ。でも、改めて考えてみると、なかなか大変な時代だったんだなぁって感じがするね。動乱のエアポケットというより、過渡期なんだよね。1925年に普通選挙法と治安維持法が成立して、いよいよ戦争の昭和史に突入するみたいな流れもあるしね。
 過渡期ということを考えると、関東大震災ってのは象徴的なのかも。ほら、この震災によって、昔からあった建物が随分壊れてしまったからね。そういう形でも、東京の風景が変わってしまった大きな事件だったんだなぁ。

 その辺掘り下げようと思ったんだけど、俺、ふと思い出したけどさ、昔オウム真理教が地震兵器を開発しようとしていたって話題になったよね。いや、いきなり変なこと言ってゴメン!でも、彼等は結構真剣に検討していたフシがあってさ。この地震兵器ってのはねぇ…我々のような擬似科学マニアからすると、思い入れがあるんだよ。
 エジソンと同時代に、ニコラ・テスラっていう凄い科学者がいたのよ。未だに我々の間じゃカリスマ的な存在で、いわゆるマッドサイエンティストの元祖というか、モデルになってるような人でさ。もちろん、交流電流やテスラコイルの発明っていう正統派な業績もある超一流の科学者であり発明家なんだけど、特に晩年は、地震兵器だのなんだのといった超科学兵器のアイディアを考えたりした人なんだ。
 この人は本当にスゴイ人だと思うんだけど、どんな本に載ってるかっていうと、結構『ムー』だったりして、どうしてもサブカルやオカルトに回収されがちなんだよね。まぁ、みんなの「マッドサイエンティスト萌え」な心をくすぐるんだろうけど。
 そこで私が言いたいのは、地震兵器を応用して、地震を抑える装置を作ろうということなのだ!今こそ、ニコラ・テスラ大先生の遺志を継ぎ、地震を人為的に操る方法を考えるべし!科学者達よ、大先生をサブカルから回収する為に立ち上がるのだ!!なんだかオウム的になってきたな…。
 うちの郵便受けに、選挙公報が入ってましたよ。怖いもの見たさで、東京都選出の人々を見てみたけど、衝撃が強すぎて、まだ過呼吸状態!
 いやぁ、なんか新しい波が来てる気がするね。各候補者がどうとかいう以上に、政治っていうものの意味が変わりつつあるような流れを感じたよ。
 だって、まず初っ端、維新政党新風の人が、「めざせ核武装!『美しい国』より強い国!」だもんね。こりゃあ気持ちがイイよ。核武装に関する議論をしなければならない…的な発言をしただけで、失言だなんだって騒がれるこのご時世に、目が覚めるねぇ。政見放送も凄まじかったけど、ここまで方向性がしっかりしてると、結構な票数取るんじゃないかと思うよ。時流にも適ってるし。
 ただ、他の候補者もスゴイよ。なかなか正統派じゃない感じが揃っていて、泡沫とかいうレベルを超えて、一つの潮流を感じるなぁ…と思ってページをめくると…。
 出ました!広報二面目の、マタヨシ光雄、ドクター中松両先生の並びの圧倒的な衝撃!これは日本の憲政史上でも未曾有のことだと思う。いや、こりゃもうそういう次元じゃないね。だって、これやられちゃったら、もう芸術もパロディーもコントも成立しなくなっちゃうでしょ。これを超えるアートを作るのは厳しいね。少なからず何かを表現しようとしている人達は、全員頭を抱えちゃったと思うよ。
 だって、マタヨシ先生のキャッチコピー「真実・真理・正義の唯一神又吉イエスに、日本の政治を任せよ」ってので、まずブッ飛ぶ。夢を見ているんじゃないかと思ったくらいだよ。まず、これが選挙公報に載っているのをリアルタイムで拝見する、そんな贅沢な時代に生まれたことを感謝すべし!
 それにしても、世界経済共同体党って党名は気になる。キリストの再臨のわりには経済、なんて俗な言葉を使ってるから違和感もあるんだけど、これだけ見たら、経済共同体を政治の単位としていくような、経済系アナキズム、アナルコ・キャピタリズムなどの方向性なのかなって思うけどね。どうなんだろう。その辺はホームページ等で確認すべし!ってこと?いやぁ、怖くて確認できませんよ。
 それに比べたら、ドクター中松氏は少々霞んで見えてしまうけど、どうしてなかなか、マニフェストの方は期待通りですよ。だって、ほとんど自分の自慢話なんだもん。まぁ、それはキャラってことで通るところもあるけど、中に一文、怖ろしいコメントを見つけたよ。これ、本当に書いてあるんだけど、「現在筋トレで50トン持ち上げる体力を持っています」っての、スゴクない?他の、「長い経験と深い知識」とか、「勤勉で努力家」とかのキャッチコピーは許せるよ。風物詩といってもいい。でも、50トン持ち上げる体力ってさ、ついにドクター新章突入かって感じだよ。もう自暴自棄になってるのかな。いや、本当に持ち上げる体力をつけた可能性も0じゃないけど……いや、0か。
 他にもコメントしたい人は沢山いるけど、ちょっと精神的に疲れたわ。いやぁ、まだまだ日本も捨てたモンじゃないね。さらに、もっと痺れるようなマニフェストが見たい。国民が関心を持つようなさ。もう、見た目の好感度とか言ってる場合じゃないよ。我々は、何か祭を始めてくれそうな候補者を待っているのだ!
 ま、実際んトコ、ボクは丸川珠代タンに一票かな。。。ハァハァ
 久し振りに母校の辺りをフラフラ歩いてみたんだけど、随分と落ち着いた感じになりましたな。
 俺が入学した当初なんて、駅前には宗教の勧誘やら、手相の勉強やら、占い師やらが山ほどいて、通り過ぎるまでに、絶対2、3人から声をかけられてたもんね。大学校内でも、ちょっと木陰で休んでいても宗教の勧誘を受けたし、中には、健全なサークルを装った宗教サークルも幾つかあった。
 政治運動の方もまだ活発でね、放課後にはヘルメットを被った方々がビラを配ってたし、授業の前にも教室に入ってきて、演説したりビラを配ったりしてね。なにしろ、校内の至る所にビラが貼ってあったし、立て看もたくさんあった。大きく日付が書いてあって、決起集会!とかソレ系の景気のイイ言葉が踊っていたもんだよ。
 そう考えると、かなり混沌としていたね。でも、これがほんの一、二年でみるみる大人しくなっていったんだ。ちょうど過渡期だったのかね。
 まぁ、宗教の勧誘が減ったのは分かるんだ。色々なカルト教団が捕まってるしさ。社会的に、宗教ってものへの警戒心が高まってるでしょ。あまり宗教=悪だという図式になるのはどうかと思うんだけど、宗教の名を借りただけみたいなイカガワシイ教団も沢山あるだろうから、ある程度は仕方ないって気もするよね。
 でも、政治運動の方はどうしてこんなに元気なくなっちゃったのかね。これは時代の流れなのかなぁ。いや、最近の子達はそんな政治運動なんかにキョーミを持たないっていう指摘はね、もう全共闘運動が鎮火した後のシラケ世代・新人類世代に対して充分に言われてたんだよね。むしろ、今なんかは政治的な問題に関心のある子が増えてるんじゃないかな。ただ、それが左寄りの方向にいかないんだよね。結局、『戦争論』以来の流れってことになるんだろうけど、俗に右傾化って揶揄される例のアレでね。今、ちょっと政治問題なんかに興味のある子は、どうしても右の方に行くでしょ。厳密には、最近またちょっと違ってきてる感もあるけど、総体としては、サヨク、かっこ悪いみたいな感じにはなっている。
 ただ、左が「アンチ政府」的な活動を展開できたのに対して、右ってのは、どうしても「アンチ左」といった形でしか活動しづらいんだよね。特に学生レベルではさ。
 で、その左も目に見える所にいなくなってきてるから、右の方も、ネット上なんかで騒ぐしかなくなってきてる。
 ま、武力闘争だ内ゲバだ脅迫だなんてのは勘弁してほしい気もするけど、ネットなんかでガス抜きしてないで、もっとデモだなんだってやってほしいね。自分は右だ、とか、左だ、とかのレッテル貼りもどうかと思うんだよね。自分は右だから、こういう考えをしなきゃいけない…とか思考停止になっている人も多いでしょ。
 そういう意味では、オタクに期待かな。オタクもデモなんかやってるみたいだし、ここぞという時のパワーはやっぱスゴイからね。いざという時は、俺もかけつけるぜ!森高人形とマジックハンド持ってね!こりゃオタクのイメージが古いか…俺、その頃のオタクだから!
 昨日一晩、将来的に一番住みたい所はどこなんだろうと真剣に考えたら、ディズニーランドという結論に達しました。俺もヒマだね。
 まぁシーもイイんだけど、やっぱりランドかな。一般的に言っても、まだまだランドの方が人気あるよね。アトラクションの数も多いのかな?少なくとも、そういう印象はある。アトラクションの質もね…『インディジョーンズ』なんて大好きだけど、全体的にシーの方は薄味かな。あと、俺は絶叫系がダメだから、『センターオブジアース』はダメだし、『タワーオブテラー』なんて、ホント死にそうになった。誇張無しで、しばらく四つん這いで歩いたもんね。我ながら惨めだったよ。
 あと、シーは、どっちかっていうと、七つの海を航海する、じゃないけど、世界の色々な地域を巡る的な作りになってるじゃん。それよりも、ランドの方のあの郷愁ね。なんというか、古き良きアメリカを演出しているでしょ、所々で。あれがイイんだよねぇ。
 まぁ、ウエスタンランド周辺で特に顕著なわけだけどさ。ウエスタンリバー鉄道などのアトラクションの中にもそういう設定が散見されるけど、細かい建物の作りとか、名称とかね。マークトゥウェイン号とかトムソーヤ島とか、そんな名称だけでもたまらない。あと、夕暮れ時に『ケンタッキーの我が家』とか流れると、本当に泣くから、俺。俺にとっては、昭和30年代の日本よりもクル。
 もちろんさ、西部開拓だなんだってのを美化してるとか、そういう非難はあり得ると思うよ。でも、そう非難するのは簡単なんだけど、もう少し冷静に分析してみたい。動物を擬人化した夢の国の中に、西部開拓だゴールドラッシュだなんだっていう歴史的意匠が並置されているっていうのに、アメリカっていうものの一つの本質が見え隠れすると思うんだ。その辺に注目していくと、アメリカ人にとって、歴史とは何なのかって答が見えてくる気がする。
 なんというか、アメリカ人にとっての歴史って、寂しいんだよね。その寂しさに俺は惹かれるんじゃないかって思う。
 長い歴史も文化も持ち合わせていないアメリカ人にとって、現実社会は虚構、歴史も虚構なんでしょう。でも、虚構だからこそ説得力があるし、それを楽しもうっていう意識があるって転倒ね。
 たぶん、ディズニーランドに一年間暮らしたら、俺は完璧な馬鹿になると思う。でも、馬鹿になって日々楽しく暮らすっていうことは、ひょっとしたら窮極の夢なのかも。同時に窮極の恐怖でもある気がするけどね。まぁ現実がディズニーに近付いているのだとしたら、笑い事じゃないけど。
 本当に恥ずかしい話だけど、昔、お金と時間に余裕があった頃があってさ、その頃、本当に毎日のようにディズニーに通ってた時期があったんだ。でも、虚構の世界から帰ってくると、この社会が妙に現実感を持って見えるんだよね。現実だなぁっていう、ある種の安心感。アメリカ人も、この安心感を求めてディズニーに行くのかも。
 いつの日か、もう現実に戻ってくる必要が無いな、と感じた時には、ゼヒともディズニーに住みたいですな。それが無理なら、自分の家の敷地内にディズニーランドを作るか。あ、それは完全にマイケル大先輩の発想か。。。
 昔から、転々と引越しをする生活ってやつに憧れがあるんだよね。まぁ、憧れてるだけで、実際はもう何年も同じ所に住んでるんだけどさ。新しい街で新しい生活なんて、心が躍る。
 ただ、どこに住みたいかって聞かれると、これが本当に難しい。悩むね。いや、誰からも聞かれてないんだけどさ。でも、どこに住むかによって人生変わることも充分あるから、考え始めると際限がない。
 世間の定番ってドコら辺なんだろうね。まぁ、俺の狭い交流関係を見ると、だいたい、金が無いくせに何か大きいことやらかしたいなんていう連中の定番は中央線沿線だよね。役者やミュージシャンの類とか、本当に多いよ。あとは、サブカル系の方々とかさ。やっぱりサブカルといえば中央線なのかな。中野・高円寺辺りは、サブカル系としか形容のしようがない店が多いよね。分かりやすい所では、中野ブロードウェイとか。それに、劇場やライブハウスも多いしさ。
 あと中央線といえば、ガイナックスとか、スタジオジブリみたいな、きちんと王道のアニメの聖地でもあるから、サブカル系にとっては安心感があるんでしょ。
 でも、中央線沿線って、何かこう、夢の途上というかさ、いずれは卒業しなきゃいけない街みたいなイメージがあるよね。いい年して、中央線沿線に一人暮らししてマス、とか言うと、そろそろ危なっかしいものも感じる…
 同じサブカル系でも、下北沢なんかに行くと、もう少し違いますな。洗練されてるというか、泥臭さを「あえて」やってるような余裕が見えるというかね。サブカルといっても、ヴィレッジバンガード的なというか。中央線沿線がCSとかのカルト番組だとしたら、下北は地上波の深夜放送くらいのメジャー感はあるんじゃないかな。やっぱり小田急沿線だからなのかね。でも、小田急沿線も、地方から何か夢を持って上京してきた人々の定番の場所ではある。やっぱり、周りに同類がいるってのは頼もしいからね。でも、下北沢に住むのもなんかなぁ。中央線と同じだ。「そろそろ現実を見ろよ!」って言われそう。
 じゃあ、もう少し洗練された街に住んだらいいのかって話になるんだけど、洗練っていうと、田園都市線や東横線沿線とかかな。あと、東京メトロでいえば、せいぜい南北線とか…と言っても、南の方の一部だけだけど。
 田園都市線なんてのは結構イイかも。三軒茶屋なんてのは適度にサブカルだし、いや、サブカルが必要なワケでも全然ないんだけど…他にも二子玉川とか、住みたい街ランキングの上位常連だよね。でも、街としての面白さはどうだろう。いかにも郊外って感じの街が多いんだよね。新しくて綺麗で、でも人工的で、他の街と取替え可能な平坦な町並みというかさ。やっぱり、もう少し街としての勢いが欲しい。
 後は、東横線、南北線か。田園調布や、白金とかね。でも、田園調布も白金も自然も多くて、落ち着いた感じでいいんだけど、車を持ってないと交通が不便だし、必ずしも住みやすい類の街じゃないよね。それに、金持ってないくせにそういうトコに住むと、いかにもビジネス漫画か、啓蒙本かなんか読んで、「一流の人間になるには、一流の場所に住まなくては!」とか考えてる痛いヤツだと思われそうでイヤだね。別の意味で、「現実を見ろよ!」って言われるな、こりゃ。
 そう考えると…今、俺が一番住みたい街は…う〜ん…秋葉原かな。秋葉原に住んでます…って、これどうよ?これが一番「いい加減に現実を見ろよ!」って言われそうだね!
 参院選前で、政見放送なんかをチラホラと観ることがあるんだけどさ、いやぁ、結構面白いねぇ。なんとも言えないライブ感があるんだよ。緊張感というかさ。
 基本的には、タレントじゃない人がテレビに出てるっていうことの緊張感なんだろうけどね。自民や民主みたいな大政党の幹部となったら、もうタレントみたいなものだろうけど、弱小政党の場合なんかだと、本当にテレビに出ること自体が祭みたいな感じだろうからね。しかも、色々言いたいことをまとめて、有権者に伝わるように言わなくっちゃいけないってんだから、なかなか大変だ。でも、こういうのが下手だと、政治家としてどうなんだって思うね。メディア戦略は大事だから。
 で、もう一つ、緊張感の理由といえば、政見放送自体のルールに起因するというか、ほら、政見放送って、どんな内容でもそのまま放送されるわけじゃん。どんなメチャクチャなこと言っても、キワドイ内容を言っても、放送禁止用語を言っても、それを編集したり、ピー音を入れたりしちゃいけないって決まってるからね。しかも、立候補してるような人達なんてのは、結構偏った人もいるわけだし、思想信条的にアツイものを持った人も多いわけだから、どうしてもアブナイ方向にいく場合もある。こりゃ緊張感も漂いますわな。
 なんでもアリのバーリトゥードの試合を見てるようなものだもんね。放送禁止ライブと言った方が近いか…。
 選挙で当選しようっていうより、この政見放送で言いたい放題言おうっていう人が出てきても全然フシギじゃないよね。テレビに出られない放送禁止芸人が来るかもしれないし、国民が聞いている前で真顔で下ネタを言って興奮したいっていうようなド変態が来るかもしれない。
ただ、俺はこの政見放送ってのに対して、パフォーマンスとして面白いっていうだけじゃなくて、やっぱある種の健全さを感じるね。
 だってさ、どんなこと言ってもイイなんて、言論の自由って感じでイイじゃない。少なくとも、何でも言ってイイ場があるってのはリベラルな感じで良いね。最近はリベラルっていうと、むしろ言葉狩り的な、差別語だ放送禁止だと騒ぎ立てる側の人達が自称する傾向があるけど、リベラル、つまり自由主義ってのは、その本義からして、リヴァイアサンたる国家権力から市民の自由を守らんとするものなわけでしょ。
 特に日本の戦後レジームでは、リベラルを標榜する勢力が、市民社会に対して差別や格差を無くすことを強制するような流れがあった気がするんだよね。でも、市民の表現や活動を制限するようなものは、やはりリベラルの本義には適わないと思う。
 リベラルとは、市民から国家権力へ向けての命令だということを忘れてはなりませんな。それを体現しているのが、憲法っていう代物なわけだけど。
 だから、真にリベラリストたらんとする者がいたら、弱者を虐めてる人を見ても、差別をしてる人を見ても、正義に反することをしている人がいても、全て見て見ぬフリをすべし!そこに対して注意をするのではなく、国家に対して、そのような人々を取り締まる法を作るように訴えるべきなのだ!真のリベラリストにとって、不満をぶつけるべきは、時の権力唯一人!その為にも、何でも言える場があるってのは必要なことなのだ!
 定職にも就かずに、こんなこと言ってるのもどうかと思うけどね…俺。
 しかし、コムスンの事件は考えさせられたねぇ。いや、色々な問題を孕んでいるとは思うけど、世間の憤懣をまとめれば、弱者を食い物にしている、とかでしょ?なんだか資本主義そのものが内包する問題のような気がするね。
 それ言ったら、同じグループ企業のグッドウィルだって、下流を狙い撃ちしてるって面では共通しているでしょ。いや、介護で金儲けても、フリーターに仕事斡旋しても、それ自体が悪いことではないから、非難はしづらいんだけどさ。どうにも性根が屈折してるように見えてしまうのは、結局、介護が必要な人や、定職につけないような人が増えるほど儲かるようなシステムが組み込まれたビジネスだからってことなんだろうね。人の不幸は蜜の味的な…。で、そこに資本主義自体が根本的に持った矛盾が見え隠れするから、尚更なイヤなワケだけど。
 って、ちょっと俺も感情的になってるとこがあるんだけど、なんでかっていうと、実は俺もグッドウィルに登録してたのよ。周りに聞くと、一度登録したら、ドンドンと仕事が回されてくる、みたいな話を聞いてたからワクワクしてたのに、ついに一件も仕事こなかったんだよ!どういうこっちゃ!奴等、人見て仕事を回してるってこと?見かけだけで判断しないでもらいたいものだね!ホント、気分が悪いよ!…こりゃ単なる逆恨みか。

 それにしても、グッドウィルグループの会長の折口雅博って人、あれはやっぱりスゴイよね。下手したら、あと一歩で偉人になるとこだったんじゃないの?結局、山師だったとバレたみたいな形になってホッとしてはいるけど、金儲けの才覚があるのは間違いないし、大袈裟に言えば、社会構造を変えてしまったような面もあるでしょ。
 あと、折口氏といえば、ジュリアナ東京の仕掛け人でもあるわけだよね。懐かしいね、ジュリアナ。ジュリアナ扇子とかさ。このジュリアナ東京ってのは、バブルの恥部的な紹介のされ方をするけど、実際にはもうバブルが事実上崩壊してる91年に出来たんだよね。
 でも、当時俺なんかはまだ地方在住だったからさ。深夜放送、特に『トゥナイト』の山本晋也監督のコーナーなんか観て、東京には、こんなに素晴らしいところがあるのか!と、感動していたもんなぁ。これも本当に恥ずかしい話だけど、あまりに興奮した俺は、ジュリアナ東京のCD買っちゃったもんね。ジュリアナで流れてる曲が収録されたヤツ。アホだね…。
 ソレ、『Hidden Gems』ってCDなんだけど、一曲目『Move on baby』以外は、期待ほどじゃなかったな。でも、なんとなく雰囲気は伝わるもので、それ流しながら、部屋でよく踊ってたもんだ。その頃から俺のダンスミュージック好きが始まったんだな。
 そういえば、ジュリアナで流れていたような曲を、デステクノっていうジャンル名で呼んでいた時期もあったけど、すぐに誰も言わなくなっちゃったね。ユーロビートやらトランスやらも聴いたけど、未だに俺の中でのダンスミュージックといえば、デステクノだもんなぁ。
 今回はちょっと世相を切ろうかと思ったけど、相変わらずしょうもない話になってしまいましたな!
 それにしても、最近ゲームやらないねぇ。ネトゲとかはチラッとやったけど、確かにアレは面白い。でも、なんか時間を浪費してる感が怖いんだよね。
 なんで昔はあんなにゲームやってたんだろう。もう、生活というか、人生がゲーム中心だったもん。ゲームと現実を入れ替えたくて仕方なかった。狂ってるね。
 最初のゲーム体験 ―― というか、もちろんコンピューターゲームのことだけど――は、ゲームウォッチだったなぁ。ていうか、こりゃ世代を感じるね。ウルトラマンのヤツでさ。正確にはセブンだったかな、キングジョーと戦うの。
 今考えてみれば、ナゼあんなものにっていう感じもしなくはないけど、スコアアタックが熱かったのよ。これもまぁ、今では死語になってしまった感もあるね。ファミコンの初期の頃くらいまではスコアを競うゲームが普通だったけど、だんだん面クリア型、あるいは、シナリオそのものをクリアするという、「終わりのあるゲーム」が主流になってきたからねぇ。ゲーセンからの移植モノから、家庭用ってことを念頭に置いて作られたものに変遷してきたっていう事情が大きいでしょ。
 で、本格的にゲームにのめり込んだといえば、やっぱりそのファミコンだよね。83年の7月15日発売ってのは今でも覚えてるけど、それだけ大きな事件だったんだよ。欲しかったけど、ほら、その頃には俺なんかかなり考え方もしっかりしてたから、逆にね、家でいつでもビデオゲームが出来るようになったら、脳がおかしくなるんじゃないか、とか、家族のコミュニケーションに支障をきたすんじゃないか、とか、妙に色々考えてしまって、ちょっと怖かったんだ。
 世の論調もそんな感じだったし、今のDSで脳トレとか言ってる風潮からは考えづらいけど、スゴく反社会的な可能性を秘めたものっていう、闇だまり的なオーラも感じたんだよね。俺だけか?テレビ草創期に言われた、「一億総白痴化計画」的なね。
 でも、結局、俺も買っちゃうんだよね。周りの子達よりは随分と遅れてのことだけどさ。父と弟が買いにいって、それを待ってる時のあの緊張感といったらねぇ…期待と不安が入り混じってね。ホント、俺ほどファミコンに対して不安を持っていたヤツはいなかったんじゃないかな。精神的には慢性的に躁状態だったけど、基本的に心配性だからさ!
 でも、それからファミコン中心の生活が始まるんだよね。まぁ当時はどこの家もそうだった気がするけどさ。特に熱中したのは、『マリオ』『スターソルジャー』『ドラクエ』とかかな。これも平均的か。
 『スターソルジャー』なんかは、少しマイナーな部類に入ってくるのかな?でも、ハドソンの全国キャラバンとかキャンペーンも打たれて、俺もかなり熱くなってたよ。ちょっと上級者向けゲーム的な、選良意識を刺激する感じでね。ていうか、全国キャラバンにはちょっと説明が必要?要するに、ゲームの大会だよね。予選3分、決勝5分で、どれだけ点数稼げるかっての。これも時代を感じるなぁ…。
 3分で32万点、5分で85万点辺りが限界だとされていたけど、当時ゲーム通達の中で有名だった阿部軍団っていうゲームエリート集団が、5分で100万点を叩き出したって、話題になってね。コロコロで巻頭グラビアみたいなのを飾ってた記憶があるよ。阿部軍団のその他の記録、ハイスコアやベストタイムみたいなのも載っていて、確かに全部スゴかったんだけど、一つ、「ドラゴンクエスト 三日後クリア」ってのがあってね…。それは別にスゴくないだろ!単に一日中ゲームやってただけだから!って、さすがの俺もツッコんだよ。ホント、バカな時代だったね。
 アニメ『デスノート』も無事終了致しましたね。
 いやぁ、アニメ化というと、絵や声優なんかのクオリティが心配になるとこだけどさ、これは満足のいく出来だったんじゃないの?かなり原作に忠実な作りで、個人的には『MONSTER』以来の完成度だった気がするね。まぁ、よく考えたら『MONSTER』以来、ほとんどアニメを見てなかったんだけど…。
 でも、最近のアニメシーンって、どんな具合なの?
と思ってさ、ザッとテレビ欄を見て、改めて感じたけど、アニメって午前中と深夜に集中してるんだね。そのアニメの内容と照らし合わせて考えると顕著だけど、結局、子供(午前中)とオタク(深夜)のものとして回収されてしまった感じだね。
 ゴールデンタイム付近にやってるものといったら、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』といった定番モノばかり。だんだん、アニメの停滞っぷりが浮き彫りになってきた気がするね。
 結局、この国はアニメの発信基地だと聞いていたけど、みんなが楽しみにして見てるアニメって何なの?そもそも、そんなアニメある?せいぜい『ジブリ作品』くらいじゃない?
 実際、ジブリだってアニメの正統の潮流とは違う気がするしね。今、新作として公開されているものは、劇場向け作品ばかりなワケだしさ。「アニメ」っていうよりは、「映画」って感じでしょ。この辺のカテゴライズは難しいとこだけど。
 「アニメ」というより「映画」、といえばさ、いわゆる、アメリカ辺りでジャパニメーションって呼ばれてる作品だって、その類でしょ。『GHOST IN THE SHELL』とか『AKIRA』とかさ。日本のアニメという潮流に対する評価というより、監督、作家に対する評価だしね。
 一方、アジアやヨーロッパ諸国なんかだと、『ドラえもん』とか『セーラームーン』、『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』なんかがテレビ放送されて、高視聴率を取ってるなんて話を聞いたことがあるけどね。どっちかっていったら、そういう現象の方がジャパニメーションでしょ。

 ま、改めて日本のアニメを見回しても、文化として、もう最盛期を過ぎてしまったのかもって気はするね。サブカルとしての自覚が無くなってしまったというかさ、やっぱりね、サブカルってのは後ろめたさが無いとダメだと思うんだ。エネルギーが無くなるというかな。
 俺なりのサブカルの定義は、『親の前で見ていると恥ずかしいモノ』ってことになるんだけど、そういう意味では、この国のアニメという文化は、成熟、洗練されすぎて、枯渇してる感がある。
 それで、自浄作用なのか、アニメもドンドンとオタク的な、サブカル方面に埋没していこうとしてるけど、衰退の途であることが見えるメディアだから、ここから何か爆発的な作品が出てくるような流れではない気がするんだよ。
 そういう意味では、萌え系のゲームとか、ライトノベルとかさ、今、オタク達が集まってきてるジャンル。10年後にはその辺から世界的に認められるような作品が出てくる可能性が高いかも。いや、俺もその辺に精通してるわけじゃないけど、なんだかもう有象無象というか、玉石混交というか、無象や石が99.99%なんだろうけどさ、その生命のスープみたいな状態がイイよ。アニメだってファミコンだって、最盛期ってのはそんなもんだったじゃん。
 そういうエネルギーのある震源地があるうちは、この国の文化は安泰だと思うけどね。下手に政府がサブカル支援とかしない方がイイんだよ。だから、麻生太郎なんかには危うさを感じるんだけさ。
 ま、サブカルなんてものはね、もっと蔑んでやればイイの。それが活力になるんだから。
 本日は参院選の期日前投票に行って参りました!って、いきなり政治の話をするのもアレだけど。
 それにしても、やっぱり選挙ってのは面白い。みんな、もっとショーだってことを意識してもイイんじゃない?アメリカみたいにさ。
 とにかくね、選挙ってのは祭なわけなのよ。だって見てみなよ、あの顔ぶれ。
 ホント、みんな狂ってると思うんだ。とても正気じゃないと思う。特に、二世議員とかタレント候補とかでもないような人はね。誇大妄想家か、山師か、詐欺師か。
 特に今回はスゴイよ。東京都選出だけ見ても、よくまぁこれだけ集めたねってくらいメチャクチャな人ばかり。例えば黒川紀章氏とかね。都知事選でブレイクしたけど、今度は参議院ッスか。エネルギーはスゴイと思うけど、あまり重要な決定を任せたくないよなぁ…。でもまぁ都知事だったらちょっと勘弁だけど、参院議員くらいならイイかもね。そんなこと言ったら、「良識の府」に対して失礼か…。
 あと、ドクター中松もねぇ…この人も狂ってるよねぇ。自分はスゴイと本気で信じてるんだろうね。そりゃ立候補者全員に言えることかもしれないけど。この人、元々は『元気が出るテレビ』出身とかじゃないの?面白素人の枠を出ないねぇ…。ていうか、79歳ってのも…。だんだん怖くなってきたよ。
 でも、一番キテると言ったら、やっぱり又吉光雄さんでしょうか…って、こりゃ又吉イエスでしょ!改名したのかね?ていうか、こっちが本名か…。たしか、自らを唯一神って言ってる方でしょ?もともと沖縄のカルト的な泡沫だと思っていたら、東京に進出してきて、毎回毎回斬新なポスターで、善良な有権者諸氏を困惑させてるという…。
 ていうか、この人に関してはちょっと触れてイイのかどうかも良く分からないけどね。怖いもの見たさってヤツですな。
 先だっての都知事選でも、外山恒一氏っていうスゴモノが立候補していたけど、彼なんかは、まだ茶化そうっていう下心が見える分だけマトモに見えるけどね。キャラでやってるというかさ。
 本当に「マジ」な人達ってのは怖いねぇ…。まぁ政治家なんてのは、多かれ少なかれそういう面があるんだろうけど。

 議院内閣制、すなわち間接民主制ってのは、まさに有権者の民度が試される制度なわけじゃん。人を見る目がね。だけど、今の日本では、「政治家は普通の人より人格的に優れてる」とか、「優秀だ」とか、誰も思ってないでしょ。そこがスゴイよね。
 ようするに、生徒会長と同じノリなわけだ。面倒くさいことは、目立ちたがりのイタイ奴等に任せておこうっていう了見。
 こりゃあ一度、独裁制にでもなって、民主主義について良く考えた方がイイかも。
 案外、独裁制の方が上手くいっちゃったりしてね…。美少女総統とかなら、みんなついていくでしょ。美少女総統…これは一考すべきテーマだね。