今日は爆風スランプを聴いております。シングル曲ばかりを集めた、『SINGLES』ってアルバムね。やっぱこの人達、イイ曲作ってるわ。
元々は、ヨドバシカメラ歩いていたら、たまたま『涙2』が流れててさ、思わずその場で立ち止まって、涙をこらえながら聴いてたんだけど、居ても立ってもいられなくて、そのままCDゲットしてきたってわけ。我ながら恥ずかしいね。
まずは『涙2』、こりゃやっぱイイ。何度聴いても泣けるわ。しかも、この曲に対して俺は全く思い入れが無いわけだから。普通、懐かしい音楽を聴いて泣くというと、その曲を聴いていた当時の思い出とかとセットになってたりするものじゃん。でも、俺、この曲が発売した当時、聴いた覚えがないんだよ。
まぁ、もうすでに爆風スランプというバンド自体が微妙になっていた頃だったからね。下手なこと言うと怒られるけど、爆風スランプといえば、『Runner』、『月光』、『リゾ・ラバ』『大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い』でしょう。今調べたら、88年〜89年の一年間だ。てことは、ちょうど世間では宮崎勤くんの事件で騒いでいる頃とかぶるね。とか言うと、さらに怒られるけど。
とりあえず、世間的には『Runner』でブレイクして、俺なんかもそれから爆風に注目したんだけどさ。周りでも妙に流行って、次はどんな曲を出すんだろうと話題になってたね。で、『月光』となるわけだけど、これもさ、今聴くとなかなかクルものがあるんだけど、当時はやや弱い気がしたねぇ。どうしても、また『Runner』が聴けるかと期待しちゃってたわけだから…。
そして次の『リゾ・ラバ』を聴いて、一応みんなガッカリはしたくなかったから、コレもなかなかイイネ!なんて言ってはいたけど、内心、もう爆風はいいか…と思ってたもんだ。いや、今になって改めて聴くと、なかなか含蓄のある歌詞なんだけどさ。
『大きな玉ねぎの下で』だって同じだね。結局、第二の『Runner』を待っていた俺達からすると、どうにも不完全燃焼だった。いやぁ、本当にこの辺は佳曲が揃ってるから、もっとじっくり味わっておけば良かった気がするけどね。子供には早かったか。
で、それからもうすっかり爆風とは離れていた。でも、95年くらいからまた再び爆風の名前をチラホラ聞くことになったんだ。爆風の楽曲自体に注目していたわけじゃないけど、パッパラー河合氏がポケットビスケッツのプロデュースをしたり、猿岩石の応援ソングとしての『旅人よ〜The Longest Journey』を聴いたりしてね。改めて、この人達はやっぱり曲作りのセンスあるなぁ…と思ったものの、特にハマり込んだりしなかった。でも、ずっと気にはなっていたんだよね。いつかベスト版でも買おうかなぁ…みたいな。ここまで来るのに随分時間がかかったね。
あ、俺が一度爆風を意識した時があったわ。大学浪人時代に、ふとラジオから中野氏のインタビューが聞こえてきてさ。彼が浪人して早稲田の政経に入った話を聞いたんだ。あれは俺には心強かったね。でも、あの時は、この人はあまり偏差値の高くない高校を出たのかな…と勝手に思い込んでたんだけど、今調べたら、千葉の東葛飾高等学校出身じゃん。こりゃ千葉の県立高校の中では偏差値ナンバー2の進学校だよ。
でも、中野氏には、半端な文化人キャラはヤメて、もっと暴れていってほしいものだね。メチャクチャやらせたら結構面白い人だと思うんだけど…。
こりゃもう少し、「萌え」について語っておかなきゃいけないかもしれないね。ほら、なかなか有意義な評論もないでしょ、「萌え」に対して。やはり俺もさ、「萌え」の第一人者として責任感もあるしね、この場を借りてしばし講演させて頂きたい。
そもそも、「萌え」という言葉が使われだしたのは、俺の記憶では96年くらいからじゃなかったかと思う。実際にオタクが「萌え」という言葉を発したのを初めて生で聞いたのは97年の秋だったけど、その時すでに俺は「萌え」という言葉自体を知っていたから。
まだ当時は「萌える」という形で使われていたんだ。「俺は○○に対して萌えるゼ!」とか、語法としても荒削りだった。今じゃこういう形じゃ使わないでしょ。そもそも、あまり「萌え」って言葉を発しないんじゃないかな、オタク諸氏でも。概念としては確立されていても、実際に言の葉に上がることは滅多にないのではないかと思う。
で、「萌え」という言葉が生まれていった起源を鑑みると…伝説のゲーム『ときめきメモリアル』がPSで発売されたのが95年だから、やっぱり『ときメモ』の影響で使われ始めたのかな…という気はするよね。いや、それ以前にもエロゲーなんて言われるようなゲームはあったんだよ。パソコンでね。で、その中の女の子にも「萌え要素」に通じるようなスタイルはあったんだけど…。ただ、まぁ完全に性的興奮を喚起する為の要素だったわけだ。つまり、「萌え要素」というよりは「エロ要素」。興奮するかどうかが基準で、萌えるかどうかなどという基準は存在しなかった。そんな概念すら無かったからね。
それでも『同級生』なんかでは、かなり恋愛的な要素も入り込んでいたよね。結局、それまでのエロゲーは、何らかのゲームの二次的要素、つまり、麻雀とかのご褒美画面としてエロが表示されるというスタイルだったわけで、そこからエロ自体をゲームにしていこうという時に、そこにストーリー性を与えなくちゃいけなくなったわけで、しょうがなしにというか、ストーリーの都合上、恋愛めいたことが入ってきたっていう程度だったと思うんだよね。でも、それが結構評判で、エロ以外の恋愛部分目当てに買う人も出てきたりしてさ、その辺から恋愛シミュレーションが生まれる土壌が出来てきたと思うんだけど…。
でも、さすがにエロという保険が一切無いゲームが出るとは思わなかったねぇ。それが『ときメモ』なわけなんだけどさ。とにかく女の子を見て恋愛感情を喚起させなくちゃいけなくなったわけで、そこで、「非日常的な妄想的欲望をくすぐる諸要素の集積」≒「萌え」というスタイルに目をつけたってわけだ。つまり、「萌え」をもって恋愛感情に代替させるということ。というか、プレイヤー側に、その「萌え感情」を「恋愛感情」だと錯覚させるということだね。ちょっと分かりづらいかな?
奇抜で、デフォルメされて、非日常的な設定を持った女の子たちを見て、プレイヤー達は、「萌え」と呼ばれる感情を得たわけだ。当時はまだ「萌え」も十全に言語化されてない時期だから、それをもって恋愛感情だと錯覚したと。ほら、思春期とか、精神的に未熟な時期など、性的興奮から恋愛感情に昇華されたりするわけじゃん。あれに近いね。
そう考えると、最初期の恋愛シミュレーション制作にあたり、エロゲーの「エロ要素」のノウハウが徹底的に生かされたのも頷ける。恋愛も萌えもエロも、脳内刺激を促すという意味では共通しているというか、明確な区別をしにくいとこだからね。むしろ、今のオタク諸氏の中では、恋愛も萌えもエロもかなり同じ次元で処理されているでしょう。そういう意味では、脳が変わってきてるような気はするね。
ていうか、そのうち、『ときメモ』に関しても一回ちゃんと総括しておかなきゃダメだな、こりゃ。
今時、「知」っていうと、どういうものを連想するのかねぇ。最近はドンドン実学的な方面というか、社会で役に立つような「知」を奉るような傾向があるからさ。まさか、「知」といえば英語やパソコン…とまでは堕してないと思うけど、そう楽観視してられないような現実がある気がする。
大学だってそうだよ、かつて大学の華といえば、やっぱ文学部と理学部だったでしょう。まさに象牙の塔って感じでさ、本当に研究とか勉強したいが為に大学に入ってくる人達がたくさんいた時代の話だけどね。それが今は、法学部と医学部でしょ。ようするに医者と弁護士。テレビ観てたって、コメンテーターの中に医者や弁護士が増えてきたしさ。ちょっと前まで、社会学者や心理学者のコメンテーターが増えてきたことに対して、「知」のテリトリーが、理論的博学的な知識から現場的応急的な知識にシフトしていったものだと感慨に耽っていたのに、ついには医者や弁護士って…。ホント、つまんない世の中になったもんだ。
まぁ、それでもここ数年くらい、「知」の領域では、というか、一般的な傾向だけど、科学者とか数学者が流行ってるってのは良い傾向なのかね。2005年に、アインシュタインが三本の歴史的論文を発表した通称「奇跡の年」から100年とかでキャンペーンやったりしてたのから始まって、映画とか本とかでも、「理系モノ」とか、数学者や科学者を題材にしたものなんかが増えたりしてね。後は、例の「脳を鍛える」系の影響かな。
いやぁ、俺も科学者、数学者なんていう部類の人間達は大好きだから、結構本も読むんだけどさ、でもやっぱり流行ってるっていったって表層的なもので、例えば現代理論物理学の最高峰E・ウィッテンなんて誰も知らないだろうし、もっと歴史的に有名な人物だってさ、例えばコンピューター理論の基礎を作った、C・シャノンとか、はたして何人の人が知ってるのかって思うけど…。まぁ、所詮はブームだから、薄っぺらいのは仕方ないけどさ。
まぁ、でも基本的には日本の「知」っていうと、俺なんかはフランス現代思想とかをイメージするけどね。もう20年以上も前になるけど、浅田彰の『構造と力』とかさ、ニューアカブームだなんていって騒がれていたけど、あれは基本的にはポスト構造主義の日本への紹介でしょ。あの時はちょっとブームになりすぎたけど、それ以前にも、構造主義の頃だって、フーコーだとかさ、まぁ多少なりとも知的を自負する者達にとっては必須教養だったでしょ。
でも、やっぱり一番影響力があったといったら、やっぱサルトルなんだろうね。だって、だいたい戦後から安保闘争くらいまでずっと日本の知的領域をサルトルが支配していたみたいな空気があったらしいじゃん。来日した時だって大騒ぎになったようだしさ。
その頃だって、思想っていうのもがある種のブームだったという傾向はあったと思うよ。おフランスはお洒落だから…的なさ。でも、それでも現代よりは知的に洗練されてたんじゃないかと思うよ。
まぁ、今の話をすればさ、不況ってのもあるんでしょ。観念的な、金にならない本なんか読むよりも、就職に有利な知識を得るのが「知」だ、なんていう傾向はあると思うから。でも、そういう性根自体が、一番貧しいような気がするねぇ。金にならない勉強なんて、本当に贅沢で素晴らしいものだと思うんだけどさ。
『世界陸上』やってますねぇ。ていうかゴメン、全然観てないッス。って、謝ることはないんだけどさ、でもそんなに興味ないんだよね。いや、観たら意外と面白いんだろうけど。
俺なんかが陸上と聞いて思い浮かべるのは、やっぱカール・ルイスだよね。1988年のソウルオリンピックのベン・ジョンソンとの対決とかさ、事前からスゴイ盛り上がりようだったもんね。スタートダッシュのベン・ジョンソンか、後半の伸びのカール・ルイスか、なんて言ってさ。俺だって、友達と予想し合っていたもんなぁ。
まぁ、でもご存知の通り、とりあえずベン・ジョンソンが勝つんだけど、ドーピングで失格になっちゃうんだよね。とは言っても、後味が悪いとかじゃなくて、ドーピングのお陰で余計に盛り上がったみたいなところがあった。これも一つのドラマだからね。
とりあえず、筋肉増強剤ってのの威力にも驚いたよね。タイムは確か、9秒7…幾つかだったよね。と思って調べたら、9秒79か。いや、とんでもない記録だもん。当時も、しばらく破られることはないだろうって言われてたもんね。
ちょっと気になったから調べてみたら、このソウルオリンピックで大活躍したフローレンス・ジョイナーって、未だに100メートルで世界記録持ってるんだね。しかも、そのソウルオリンピックの時のものだってんだから、もう20年近く誰にも破られていないってはスゴイ…。
当時もそのファッションなどで話題を呼んだけどさ、美しい、とか言って…。ソウルオリンピックを最後に引退するってんで、アナウンサーの人がインタビューで、「今日までは陸上の女王でしたけど、明日からは美の女王ですね」なんて持ち上げてたけどさ、それほどのものかねぇ…なんて冷めた目で見てた記憶があるよ。まぁ、そんな揶揄してもしょうがないんだけどさ、でも、ジョイナーのルックスを思い出そうとしても、どうしてもロナウジーニョが出てくるんだよね。同じ顔じゃなかったっけか?
でも、そんなジョイナーは今頃何を…と思ったら、どうやらこの人、死んじゃったみたい。98年に、38歳で心臓発作だって…。ちょっと死なれるとヘコむね。でも、そういえばニュースでやってた気もするな。ドーピングの副作用のせいで死んだんじゃないかなんてウワサも流れた気がする。
98年っていや、ソウルからたった10年だからねぇ…。いや、分からないものですよ。世間じゃ長野五輪とかやってた頃だな。あ、後はX JAPANのhideが死んだ年でもあるよね。でも、そこを比べるのもねぇ…。むしろ、比べるといえば、98年といえば、世間でバイアグラが話題になった年じゃなかったか?あれも一種のドーピングだからね。心臓に負担もかかるっていうしさ、ジョイナーの死を省みることにより、バイアグラの使用に慎重になっていこう、なんてまとめると怒られるんだろうけど。
でも、人間と薬っていうのは、考えるべきテーマだね。いかに生きるか、という選択肢を広げてくれるものではあるんだけど、副作用も必ずあるものだからさ。と、ふと思ったけど、薬の副作用と聞いて俺が思い出すのが『AKIRA』なんだけど、あれの映画版の公開が確か88年でしょ。ソウルオリンピックと同じ年だ。当時、『AKIRA』とベン・ジョンソンを並べて評論したものってあったのかな。恰好の材料だと思うんだけど…。そうか、ベンは哲雄だと思えば、色々と見えてくるなぁ…。
最近J‐POPも聴かないねぇ。でも、J‐POP産業全体がやや停滞してるような気もしないでもないけど、どうなんすか?なんていうか、前はもっと音楽っていうものの存在感があった気がするんだけどね。そりゃテレビっていうものの存在感が無くなってるのと比例してるのかな?何でもかんでもインターネットの普及が原因みたいには言いたくないけど、その辺は通底する問題なのかもしれない。テレビとJ‐POPはセットみたいなものだからさ。
でも音楽に関して言えばさ、CDの売り上げ枚数が減ってるなんて話はよく聞くけどね。それは…やっぱりファイル共有ソフトや、その他コピー技術なんかの発達で、CDを買う必要がなくなってきたってのが大きいんだろうけどさ。景気なんてのはどのくらい関わってるんだろうねぇ…。全く関係がないとまでは言わないけど、ミスチルだ、globeだ、GLAYだ、宇多田だなんていって、何百万枚とCDが売れていた時期だって、もう充分に不況と言われていた90年代後半の話だからね。そう考えると、単に景気の話にしてしまうわけにもいかない。
確かに、90年代くらいまではJ‐POP業界も面白かったね。必須教養というか、日常的な会話もJ‐POP中心に回ってたんじゃないかってくらい。いや、俺がってんじゃなくて、世の中全体がね。少なくとも、J‐POP業界といえば、ノリにノッてる産業だったことは間違いない。
そもそも、「歌謡曲」が「J‐POP」になったのが90年代くらいかな?俺もその辺に通暁してるわけじゃないけど、その「J‐POP」を作っていった人々の中にTM NETWORKがいたのは否定できないんじゃないかと思う。
彼等が活躍していたのは、バンドブームの頃とかぶっていたと思うけど、やっぱりもう少し本格派って感じがしたよね。あの小室のキーボードとかさ。普通のバンドに比べてクールに見えたもんね。YMOの系譜とは少し違うのかもしれないけど、都会的というか、あのデジタルな感じは、新時代の音楽っていう雰囲気充分なものだった。
当時は俺も学生だったけど、やっぱりTMは人気あったね。一連の曲はもちろん、熱心な女子は、小室が曲作った、映画『天と地と』のテーマまでピアノで練習してたもん。
そんなTMの中でも一番人気があったのは、やっぱ小室じゃなかったかな。俺なんかでも、あの、芸術方面で若くして成功した人特有の、狂気を孕んだ感じは嫌いじゃなかった。シティーハンターの…パート3だっけかな?のOP曲だった『RUNNING TO HORIZON』なんかさ、小室のソロ曲だったわけだけど、あの腹に力の入っていない歌声にはやっぱり愕然としたね。あの辺から、あ、この人アブナイな…とは思っていたけど…。YOSHIKIと組んで、『V2』なんていうユニットを組んだ時は、さすがに心配になったよ。曲名は、『背徳の瞳』だった気がするな…。いや、周りの連中は騒いでいたけどね、夢のユニットが誕生した、なんて言って。でも、あれも結局よく分からないうちに、すぐ終わっちゃったね。
まぁ、何だかんだ言っても小室はスゴイと思うよ。90年代後半に、あれだけの成功を収めたわりには、最近おとなしいからね。また何かやらかしてほしいものですな。
そろそろ「萌え」についても総括しなきゃって気がするんだよね。俺としても、これはかなり重大な問題を孕んでると思う。オタク諸氏に向けてだけじゃなくて、認知科学的にも面白いテーマだと思うし、実利的にもさ、マーケティングなんかでますます重要な課題になるでしょう。
まぁ、「萌え」ってのもさ、言葉としても人口に膾炙したというか、広く一般的にもその含意は伝わるところとなったよね。すなわち、「あの女子は萌え系だね」と言った時のイメージが幅広く共有されるようになったということなわけ。
もちろん、萌えの世界にもトレンドがあるし、新たな萌え要素は日々増えているんだけど、萌え系というもののイメージは大体共有されている。ということは、萌えとは何かと聞かれたら即答されるべきなんだけど、実際に聞いたらどうなんだろう、おそらく、総体としての萌えではなく、○○が××だから…みたいな、要素に言及する形の答が返ってくるんじゃないかと思う。
でも、それもそのはずで、萌えというのは、概括すれば結局のところ 要素の組み合わせにしか過ぎないものなんだよね。もちろん、萌え自体についてアプローチしていってもイイんだけど、どうしても萌え要素というのが外せないし、実際に何らかそれを使っていこうとしたら、要素のみを知っていれば充分みたいなとこがある。
要素について具体的な例を挙げると、ネコ耳であるとか、大きな鈴であるとか、八重歯であるとかさ…なんか納得いくでしょ。そういった要素というのがメタ的にあって、そこからどう拾ってきて、組み合わせるかということに掛かっているってわけ。
特に今回はメディアの中のキャラクターに焦点を絞ってみると、もう最近のオタク系メディアのキャラクターは、まず萌えありきでしょう。つまり、複数人のキャラクターを用意して、まずはそのキャラ分けね。メインはクラスの人気者的な快活なキャラで、後は、本が大好きなメガネっ娘、スポーツ好き、ロボットなどといった感じで、それに、髪の色、語尾、ツンデレといった要素を付けていくと。そういう、ある種のパズルのようなつくり方になっているよね。やはり、商業的にマニュアル化してみせたのは『ときめきメモリアル』辺りからになると思うけど。
とにかく、まず萌え要素を集めて、幾つかのタイプのキャラを作っていく、と。そこからストーリーも出来てくるし、設定や世界観もできてくる、みたいなとこがあるからね。かなり方法論は確立してきた。
まずキャラありき、というのは、やおい以来のオタク的メディアの傾向ではあるけど、それはまた、同人誌市場という、二次創作の世界とも親和性が高いんだよね。キャラだけを持ってきて、自分で別の設定や世界観を作って楽しむこともできるし。最近のオタクの方々は、かなりキャラとその他設定などを分けて考えているでしょ。
ガイナックスなんかみたいに、大手の会社でもそういう方向でやってる所はあるしさ。こないだ挙げたような、パロディというか、自社製作二次作品を出して儲けるという。ただ、その方向性は、作品自体に対する職人肌的な誇りを失わせてしまいかねなくて、やや不安も覚えるんだけどね…。金儲け至上主義のようにも見えてしまうしさ。
Yahoo!ニュースを観ていたら、
『安倍首相、パール判事の長男と懇談 「今も多くの日本人が尊敬」』
だってさ、安倍さんも熱心だねぇ、この暑い中にインドですか…。まぁインドがどれほど暑いか知らないけどさ。
ちなみにパール判事ってのはアレだ、東京裁判の判事だったんだけど、ただ一人、被告人全員の無罪を主張したっていう人だ。国際的な圧力の中、東京裁判の非正当性なんかを叫んだわけだね。
ていうか、インドがまぁ外交上重要な国だというのは言うまでもないけど、パール判事の長男と懇談ってのは、やや日本国内向けのパフォーマンスもあるんじゃないかな。安部さんなんてのは、元々かなり思想的に右で知られた人だからね。かつて、北朝鮮問題なんかで血気盛んなとこを見せて、国民からの期待度を高めたっていう経緯もあるからさ、本来の自分の得意分野、つまり右方面のパフォーマンスで支持率を上げていきたい、みたいな目論見があるんでしょう。
やっぱり右寄りの言説は国民を惹きつけるところがあるからね。諸外国や敵対国に対して強気な姿勢を見せたり、あるいは、自国の歴史を肯定的に捉えたりとかさ、短期的に支持率を上げるにはやっぱり有効だから。中でも支持率アップに一番イイのは、戦争を始めるってことだろうけどさ。ブッシュなんかの十八番だ。
ただ、ニュースの文面だけを見た感じだけど、相変わらず上手くないなと思うのは、「お目に掛かれてうれしく思います。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めています」なんていう発言をしたって辺りだね。なんか悲しくなるよ。これじゃ玄人筋はもちろん、一般国民の支持も微妙なんじゃないかな。インドに向けても、日本国内に向けても。
ようするに、まず、この言い方じゃさ、パール判事は日本を庇ってくれた…みたいなニュアンスにも聞こえるじゃん。そうじゃなくて、パール判事は、日本の為を思ってでも、日印関係の友好の為にでもなくて、ただ法的正当性に則ったのだって辺りが素晴らしいわけだ。それこそが、パール判事が尊敬されるべき理由となるものでしょう。それを日印の問題に昇華しようとしていることで、何を失っているのか分かってるのかねぇ、この人は。インド向け、そして日本国内向けに喋ろうとしているのが見え見えで、結局誰の支持も得られないって感じだね。
ここはガツンと、「お父様の東京裁判での判断は、国際法に鑑みても正当なもので、今でも世界中の多くの方々の尊敬を集めている」とでも言ってやれば良かったんだよ。それを、日本を庇う為に頑張ってくれた、日本人はみんな尊敬している、みたいな感情論にしてしまったら、何の価値もないんだよ。
そういう意味でも、確か靖国神社にパール判事の碑が立ってたよね、あぁいうのもどうかと思うんだ。戦争問題や歴史問題の中に置くのではなく、あくまで、司法というものの弱さを超克した人として称えるべきだと思うけどね。
安倍さんに言いたいことは、パフォーマンスならもっと上手く、ってことかな。アメリカなんかじゃ、スピン・ドクターなんていって、大統領のパフォーマンスなんかを効果的に演出する専門家がいるらしいけど、安倍さんにも優秀なスピン・ドクターを付けた方がイイね。俺なら力を貸すよ!
今年も夏が終わりますね!ていうか、俺はお盆が終わったら夏が終わりってイメージだけど、世間はどうなんだろう。まだ9月くらいまでは残暑も厳しいし、高校野球も終わってないから、未だ夏真っ盛りって感じなんだろうか。
でも、この国では、夏といえば太平洋戦争…みたいなトコがあるよね。まぁ、8月6、9日と原爆投下で、15日には終戦記念日だからさ、そりゃそういう感じにもなるけど、どうにもただの「興行」と化しているような気もしてイヤだね。ある種の風物詩というかさ。
確かに、俺も15日の昼にやっていた東京大空襲を扱ったアニメには泣いたよ。現代の女の子が過去にタイムスリップして戦争を体験する…という、ベタといか、使い古されたパターンではあるんだけど、泣いてしまうんだよね。それだけ、戦争を扱った物語には心を動かす力があることは否定できないけどさ、結局、「戦争は悲しいものだから繰り返してはいけない」っていうメッセージだけしか残らないのだとしたら、やっぱり違和感があるよね。
この辺はちょっとデリケートな話になるけど、戦争は悲惨だから二度と繰り返してはならない、という題目を唱えることで思考停止になるってことがあるわけだからさ。それは、核は怖ろしいものだから持ってはならない、軍隊は持ってはならない、と言うのと同じでさ。
戦争は確かにイヤだということを前提にするならば、戦争状態を回避するためにはどうすべきかということをもっと真剣に議論するのが当然でしょ。ようするに、普通にしていたら、人類というのは戦争をするものだと、そして、我々は戦争に巻き込まれる可能性が充分にあると、それをまず念頭に置くべきでね。だって、人類がその歴史を織り成して以来、絶えず戦争はあったわけだからさ。戦争が無い、という「特殊な状態」をどう維持するかって発想で考えなくちゃいけないのは当然でしょ。
どうにも日本人は、今は平和だ ⇒ 今と同じ状態でいれば平和が続く ⇒ 核も軍隊も持つべきではないし、そんなことを考えるのも良くない、という思考回路になってしまうでしょう。非戦争状態を維持する為に最も良い戦略は何か、という思考回路でいかなくちゃダメだと思うんだよね。
もちろん、自衛隊を本格的に軍隊にしろ、とか、海外出兵しろ、とか、核を持て、とか言ってるわけじゃないよ。むしろ、現時点ではそういったことをしない方が戦略的には正しいと思う。戦略的に、国益として、本当に国際情勢を生き抜くのに有利な戦略を考える、というプロセスを踏まないと、右も左も感情論だけになってしまうからね。今は、というか、戦後レジームの特徴として、俺は右だから愛国心と言わねば、とか、俺は左だから戦争反対と言わねば、という、本末転倒な二元論に支配されつつあるからさ、戦略的思考で合理的、論理的に考えることによって、ようやく右だ左だっていう空虚なモデルを相対化できると思うんだけど…。そして、その時こそ日本の「近代」は終わると思うんだけどね。
これだけ戦争を題材にした物語に囲まれながら、俺達日本人は、世界一戦争に対してリアリティを持っていない国民じゃないのかな。かつてあれだけの強国であり、また唯一の被爆国なのにね。ま、GHQの統治が上手くいきすぎたってことか…って、結論としては、随分とありきたりのモノになってしまいましたな。
欽ちゃんがマラソン完走しましたね!まぁ『24時間テレビ』放送時間内には無理だったけど、まぁそれは仕方ないって感じか。ていうか、次の『行列のできる法律相談所』の視聴率を上げる為に遅れた…ってことはないか。そこよりも、『24時間テレビ』内で到着した方が色々な意味で良い気もするしね。
しかし、まさか今、欽ちゃんが走るとはね。元々『24時間テレビ』の顔だったとはいえ、最近はそんなにテレビにも出てないし、知名度も…『仮装大賞』くらいでしょ?最近の若い子は、欽ちゃんの存在自体知らないんじゃないかって気がする。知ってるとしても、GOLDEN GOLDSの監督だって辺りでしょ。まぁ、それにしても欽ちゃんだからって、このチーム名は…確か糸井重里命名だよね。この人も昔は…って、糸井氏のことを話すのはまた別の機会にしましょうかな。
ていうか、欽ちゃんだけどさ、俺だったあまり良く知らないもんね。コント55号も観てないもん。昔は凄かったっていうウワサは確かに知ってるけどね。
欽ちゃんといえば浅草系芸人なわけだけど、浅草系っていう概念すらイメージ湧かない人が多いんじゃないかな。浅草芸人といえば、ビートたけしが最後でしょう。浅草キッドとかも浅草でやってたみたいだけど、それだって浅草に憧れて来たというよりは、ビートたけしに憧れてって感じなんじゃないかな。
ビートたけしが浅草に行った当時だってさ、もう浅草が笑いの殿堂なんて感じじゃなかったらしいからね。むしろ、もう廃れていること前提で、古き良き浅草の芸人社会に憧れてやって来たんでしょ、たけしさんだって。エノケンだとか、俺もあまり良く知らないけど、浅草コメディの全盛期なんてのは昭和初期から戦前とかでしょう。昔、よくバイト先に来たお爺さんから話を聞かされたものだけどね。そりゃスゴかったらしいじゃない。
でも、最近はまた浅草も盛り上がりつつあるような気はするね。きっかけは、やっぱつくばエクスプレスが通った辺りからなのかな。街中に人も増えた気がするし、色々と町興し的なこともやってる様子だね。六区の辺りも、昔の浅草系芸人の写真を電灯の所に貼ったりっていうキャンペーンやったりね。新しいことをやろうっていうよりは、みんなが期待する古き良き浅草を前面に出そうっていう動きになるんでしょ。
まぁ、俺も浅草っていう街自体は好きだから、盛り上がるのは嬉しいんだけどさ。かつて、国鉄が通らず(通さず)、陸の孤島のような状態になったからこそ、あの昭和の香り漂う町並みが残ったっていう現実もあるわけじゃん。だから、下手に再開発したりせず、このまま街丸ごとタイムカプセルのようにして遺しておいていってほしいっていう気持ちもあるね。京都みたいに、条例で景観を壊さないようにするなんてのもアリでしょ。
でも、本当に浅草を楽しむってんなら、遠くから崇め奉るんじゃなくて、街に触れてみるのが大切だよね。そういう意味では、浅草はある程度お金を持っていった方が面白い。街を歩くだけだと、意外とすぐに終わってしまうからさ。昔ながらの、風情のあるお店に入ったりしないとね。結構フツーっぽい店でも、江戸前の伝統や、江戸っ子の粋なんてものを感じられたりするからね。俺ももう少し浅草通になりたいものですな。
最近、iPhoneなんていって話題になってるけどさ。そこまで画期的なものかねぇ。まぁ日本のフツーのケータイだけ見てれば、確かに画期的に見えるかもしれないけど、海外ケータイの中では、ありふれたものだよね。
タッチパネルとか、パソコンとの親和性とかね、動画を再生できるとか…そういうのはもうWindowsMobileが入ったスマートフォンなら普通のことだし、日本の標準的なケータイだって、静止画や動画、音楽なんかの再生に関しては特に問題もないでしょう。
まぁ、日本ではスマートフォン市場がまだ小さいからね。WILLCOMがW-ZERO3出してから、随分メジャーにはなったけどね。まだまだでしょう。俺の愛機のX01HTだって、こんなに素晴らしいのに、全然無名だしさ。そういう現状を考えれば確かに、iPhoneが騒がれるのも分からなくはないけど…。
ただ、少なくとも海外でiPhoneが騒がれてるのは、やっぱりそのブランド力でしょう。まぁスペックもそれなりに良いんだろうけど、一番はさ、アップルとかマックとかいう単語に「萌えー」ってなる人達が騒いでるからでしょうな。もちろんデザインもあるだろうけどね。やっぱりあの会社はウマイ。デザインセンスは光ってるよ。
そう考えたら、かつてiMacが出た時を思い出すよね。あのブームに近いんじゃない?はっきり言っちゃえば、女子からモテそうだから、とかで買う人が多そうな雰囲気。
でもねぇ…海外ケータイ持ってる俺自身の感想としても、確かに、海外のケータイはイイのよ。良く知らない人の為に補足すると、今や日本のケータイってのは、結構ビミョーな位置になってるんだよね。なんというか、進化論的に取り残されているというか、日本の中だけで完結してるというかね。世界市場の中では、ほとんど黙殺されてる感じなの。スペック的にも、かつてのような輝きはなくて、NOKIAとかhtcとかの機種に負けてるでしょう。今、高機能志向のモバイラーだったら、海外ケータイに注目してるはずだよ。
ただ、そういう海外ケータイを使ったらゴキゲンなのかっていうと、必ずしもそうでもない面があってさ。やっぱり、普通に日本のケータイに慣れた目には、しばらく不自由を感じたりするしね。あと、日本標準の機能ってが随分あるから。地味なとこではQRコードとか、後は、ワンセグなんかもね。QRコード読み取れなくてもまだイイけど、ワンセグはかなり羨ましいんだよなぁ…。
イー・モバイルのEM・ONEなんかはかなりイイよね。あのスペックでワンセグ対応ってのはスゴイ。アレを普通にソフトバンクから出してくれたら、即買いするのになぁ。
ま、でも、そんな話もない雰囲気だしね…。というわけで、今注目してるのは、htcがSIMロックフリーで出すっていうX7501かな。SIMロックフリーってのは、ようするにドコモとかauとかソフトバンクから発売するわけじゃなくて、htcとして発売して、ドコモかソフトバンクのSIMカードを入れれば動くってやつなんだ。
このケータイはかなり最強系で、もちろんWindowsMobileが入ってて、CPUのスペックもX01HTの1.5倍ほどあって、さらに画面が5インチ(!)もあるってんだから。こりゃもう小型パソコンだよね。超欲しいッス。
でも、多分、ソフトバンクの通常メールは使えないだろうし、料金プランも定額とか対応してるか分からないし、不安も大きいよね。料金も10万くらいになるみたいだしなぁ…。ワンセグ見られたらそれでも払うんだが…。やっぱSHARPに期待となるのかなぁ。でも、最近のSHARPはソフトバンクで頑張らないからね!
そういえば、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開は9月1日だったよね?あまり宣伝してない気もするけど、どうなんでしょう。俺、あまりテレビや映画を観ないからアレなんだけど、それにしても、ウワサも聞かないしねぇ。そういう戦略かな。
まぁ、こういう静かな感じで蠢動してるって方が、何をやらかすのか、みたいな気持ちを昂ぶらせてイイのかも。まぁ、ホームページの方ではちゃんと煽ってるし、情報も流してるわけだけどさ。
それにしても、『新世紀エヴァンゲリオン』は凄かったね。もう10年も前のことになるわけだけどさ。アニメの内容の方をちょっと置いておいてもさ、膨大な領域からの意味ありげな用語の引用や、極太明朝体を駆使したポスター、クラシック音楽の多様、効果音や声を排除して音楽だけを流す手法…なんかは、世間のクリエイティブな活動領域全般に大きな影響を与えたでしょう。非常に斬新だったし、「エヴァ的」な手法が流行ったよね。
それでいて、王道な所はトコトン王道で押さえていてさ。登場人物なんか、きっちり萌え要素を完備して、お手本とも言える作りだった。今時のアニメ作りでは定番の手法だけど、例えば渚カヲルの存在なんかは、露骨にやおい系同人誌市場を見据えてのものだったしね。
というわけで、今回の新劇場版だけど、どうやら四部作のようですな。『序』 『破』 『急』 『?』っていう感じみたい。『?』とか、相変わらずニクイね。まぁ、少なくとも『序』に関しては、テレビ版エヴァのリメイクらしいけど、その辺も、エヴァでは典型的な手法でしょう。新しい解釈で作品を深めていく、みたいなさ。賛否はあるけど。
ただ、ホームページ見た限りでは、なんか『序』だけではテレビ版リメイクは終わらなそうな雰囲気。『破』 『急』と、ずっとテレビ版のリメイクなんじゃないかな。前回の劇場版も、テレビ版での最終二話と平行しているというか、同じ世界を別の視点から描いていたわけだからね。今回も、たぶんそういう形になるんでしょう。
多分だけど、最初のうちは、テレビ版と同じ感じで進んでいって、『破』 『急』辺りからドンドンとテレビ版や旧劇場版で語られなかったエピソードが描かれていって、『?』辺りでは、完全に別物になっていく、とかになるんじゃないかと思う。新キャラも出てくるっていうし、まぁ色々と驚かせてくれることを期待したいよね。
細かい所だけど、ちょっと予想すると、『序』 『破』 『急』と来て、次の最終章は漢字一文字じゃないかもよ。ひょっとしたら、ちょっと長い言葉になるかも。この予想、当たりそうじゃない?そういう方がエヴァらしいよね。
それにしても、このリメイクを重ねる手法を揶揄する人達もいるとは思うんだよね。金儲けのために、何度も劇場に足を運ばせて…みたいな感じでさ。でも、『エヴァンゲリオン』という稀有な秀作を何度も味わえるということは、俺は大歓迎だけどね。
どちらかというと、俺的には、『綾波育成計画』や『鋼鉄のガールフレンド』とか諸々の周辺作品の方をどうにかした方がイイ気がしますがね!なんか安易な感じがするというか、それこそ商業主義的な香りがするね。綾波の萌え系ファッションとか見たくないのは俺だけ?作品とキャラクターはベツモノっていう、同人誌世代なら抵抗ないのかもしれないけど…俺が古いのかね。
いやぁ、『午後は○○ おもいッきりテレビ』が終わってしまうようですな!
さすがの俺でも、少々感慨深いものはありますよ。とは言っても、ほとんど観たことないんだよ。なんというか、俺にとっては、「いつか観る番組」だったんだよね。いつか大人になったら観る番組、そんな風に思ってるうちに終わっちゃう。そこが感慨深いんだ。
最初に『おもいッきりテレビ』の存在を知ったのは、確か中学生の時で、当時「ファミコン通信(現:ファミ通)」に連載していた、鈴木みそ氏の『あんたっちゃぶる』っていう漫画があってさ、その中で、みそ氏がみのもんた(みそもんた)に扮していたんだ。
みのもんたという存在は活字の上では知っていたけど、実際に見たことはないし、『おもいッきりテレビ』も当然観たことはなかったから、元ネタが全然分からなかったけどさ。
とりあえず、その漫画上で、『午後は○○ おもいッきりテレビ』っていう番組があることは分かったんだ。でも、その○○ってのが理解できなくてさ。当時の俺は、何か伏せ字的なことを想像して、コレはいやらしい番組ですなぁ!と、独りで興奮してたってワケ。
また、その漫画の中で、みそ氏が「奥さん、そりゃアンタが悪いわ」なんて、生電話の真似もしてたんだけど、それもなんか卑猥に見えてね、なんか禁断の大人の世界に足を踏み入れたような気がしたんだ。
いやぁ、我ながら恥ずかしいね。ていうか、ノってきたから、『あんたっちゃぶる』の話でもしようか。この漫画は、既に書いたように、『ファミコン通信』(確か、まだ当時は隔週だったはず)で連載していた漫画なんだけど、作者の鈴木みそ氏本人が漫画の中に出てきて、ゲーム関係(関係ない時も多かったけど)の取材というか、ルポを行う漫画だったんだ。
作者が主人公の漫画ってのも、『ゴーマニズム宣言』なんかの先駆けとして評価できる(?)し、スタイルとしても画期的な漫画だった気がするよ。
で、もう一つの魅力というか、これがどうにもエロ方面に行くことが多くてね。下ネタも連発だしさ。文字通り、アンタッチャブルな感じというか、アンダーグラウンドなオトナの世界を垣間見てる雰囲気を味わえたんだ。例えばね、ニューハーフの方々に取材にいくとかさ。繰り返しますが、青少年が読む、ファミコン雑誌ですからね!いやぁ、面白かったよ。
という一連の説明をすると、俺が『おもいッきりテレビ』のパロディーの回で感じた背徳感みたいなものも、より伝わるんじゃないかな?
なんだか、『ファミ通』についても語りたくなってきたな。まぁファミ通に限らず、当時の雑誌業界では、ゲーム雑誌、パソコン雑誌の類が一番勢いもあったし、面白かったんじゃないかな。なんにせよ好景気だったってことだろうけど、ゲームに限らない総合雑誌的な香りも強かったし、編集者にもさ、挫折した全共闘世代とか、サブカル系新人類世代とか、どうにも反体制だったり、アングラ志向だったり、かなり混沌とした人々が集まっていたようでね。
かつてゲーム業界が隆盛だったなんてのは誰でも知ってるけど、その周辺の雑誌業界とか、もう少しスポットライトを当てられてもイイんじゃないかな。
しかし、秋葉も変わってきてますね!すっかり萌えの街と化してますな。いや、今から10年前くらいは結構行ってたのよ、俺も。薄暗い、胡散臭いゲーム屋さんがあってさ、その辺りを中心に徘徊してたって感じで。
当時なんかは、ちょうど旧世代から新世代のオタクへの過渡期というかさ。現象的にはエヴァンゲリオンなんかもあったし、PlayStationも盛り上がってた頃だったけど、それは一般人を含めての盛り上がりであって、その濃度の濃い人達がオタクと呼ばれていたといった感じだったわけ。グラデーション的な地続きだったというかさ。「オタク的文化」はあったけど、「オタク文化」にまで昇華されてないと言ってもいいと思う。つまり、オタクといえばコレ!と誰もが同意できるような共通のイメージに乏しかった。
そして、新世代のオタク達が生まれてくるわけだけど、彼等の特徴は、一般人とは確実に線引きされた存在だということなわけ。つまり、濃度の問題じゃなくて、一般人が興味も持たないようなジャンルが好きだったり、一般人が絶対しないようなことをしたりとかさ。オタクであることを主張するような能動性を伴っているのが特徴だ。オタクと言えばコレ!という話としては、メイドやら美少女ゲームやら、アイドルライブでのオタ芸って辺りとかだね、具体的には。
そんなオタクの変遷のポイントというか転機は、やっぱりこの2005〜2006年辺りかなぁ。象徴的なものは、やっぱり『電車男』だろうね。あれでオタクに対する世間の目が好意的になったなんてのはウソだけど、オタクというものを世間に分かりやすい形で提示できたし、むしろ、オタクの人達に影響を与えたってのもあると思う。あれにメディアが食いついて、秋葉の取材なんかも随分行われたからね。それで、地方在住者なんかを始め、多くの潜在オタク達が、「こんなにオタクってことをオープンにしている人達がいるんだ!?じゃあ、僕も…」といった感じ刺激を受けて、カミングアウトしたり、さらには自らをオタクナイズしていったりね。つまり、「オタク的な趣味を持つこと」から、「オタクの輪に入ること」、さらには、「オタクになること」がオタクのアイデンティティになっていったということだ。オタクとはこういうものだ、というのが、テレビを通して逆輸入されたわけだからね。
そういう意味じゃ、昔、テレビで観た渋谷のギャルに影響されて、ギャルが全国的に増えていったのと同じプロセスでしょう。 一度そういう流れができたら、後は早いから。
ネットだゲームだ漫画だっていうアイテムも、すっかり一般社会に回収されて、それを以てオタクかどうかなんて言えなくなったもんね。そして、趣味ではなく、見た目や喋り方、性癖なんかでオタクかどうか区別されるようになってしまった。まぁ、元々、初めてオタクという言葉が使われた時(1983年)も、新人類たちから区別されるべき蔑称として使われたという経緯もあるしね。それから、一億総オタクの時期を越えて、また再びオタクと一般人が区別される時代が来たってことだね。この乖離は、しばらく続くと思うけど、これで、一般人にもメイドや美少女ゲームが浸透して、また一億総オタクとなって…というサイクルが訪れるようには…思えないね。
この辺りがオタクの臨界点か?いやいや、オタクの進化型に期待だね。
最近のテレビってどうなの?何か面白い番組やってる?
俺は出演タレントで観る番組を選ぶ人間だけど、企画自体が面白そうなら、さすがにチェックはするよ。でも、最近は企画はアイディアで勝負する番組が不発な気がするねぇ。
企画自体が面白くて注目されたって番組は…近いトコだと『トリビアの泉』とかかな。もっと遡っていくと、『行列のできる法律相談所』とか、『ASAYAN』、『電波少年』、『料理の鉄人』、『なんでも鑑定団』、『ハンマープライス』…なんて辺りが挙げられると思う。
でも、企画が面白い系って、やっぱり過去に無かった斬新なものを持ってくるわけだから、深夜番組から試すパターンも多いよね。そういう意味では、やっぱり俺が注目するのは深夜枠。もっと言えば、深夜からゴールデンに「昇格」すると、つまらなくなるっていうのもあるし。
やっぱり、深夜枠ってもの自体が持つ良さと切り離せないんだよね。例えば、番組と視聴者の距離感の近さとかさ。例えるなら、ゴールデン番組が大きなコンサートホールだとしたら、深夜番組は小さな場末のライブハウスって感じでさ。案外、同じアーティストを観るにしても、場末のライブハウスの方が面白かったりするわけじゃない?あの感覚だよね。アットホームというか、仲間意識みたいなものすら芽生える瞬間があるじゃん。
限られて人達だけが見ているっていう、ある種の選良意識みたいなものを感じられる番組ってのはイイよね。あと、仲間意識や選良意識を高めるために、「マニアックさ」っていう要素も結構重要。
「マニアックさ」が生み出すマイノリティコミュニティ的な連帯感を促した伝説的番組として、俺的に二大看板があってさ。一つは、『大竹まことの ただいまPCランド』。大竹まことがやってたってのも、今考えてみれば面白いけど、あの人だって本質はマニアック芸人だしさ。渡辺浩弐なんかを起用したのも劇的だったよね。で、一応ファミコン・スーファミ全盛だった時代に、PCエンジンってのがサイコーだよ。当時のPCエンジンユーザーの視聴率は、かなりのものだったんじゃないかな。俺も含め。
その流れを継いだのか、最近でも『D's Garage21』なんてのがあったけど、アレは惜しかったね。桃井はるこタンンが出てたのは良かったけど…。
で、もう一つの番組は、これは最近だけど、テレ東の『ヘビメタさん』ね。コレもスゴイ番組だったね。だって、ヘヴィーメタルの番組だよ。マーティ・フリードマンなんかも、ココからのブレイクだと思うけどさ。メタラー達の視聴率は驚異的だったんじゃないかな。
ロックっていうと、かなり間口が広がるけど、メタルだからね。どうにも暑苦しくて、クールじゃないイメージでしょう。これが深夜の空気とピッタリ合いましたね。
多チャンネル時代を迎えて、さらに、インターネットという強力なメディアも追従してきている現状だけどさ、だからこそ、テレビで、特に地上波ではマニアックな番組やってほしいよね。 やっぱり、動いている金の桁が違うから。くだらない、マニアックなことを、ちゃんと金かけてやってるっていう贅沢感ね。これを楽しんでいきたいですなぁ。
もうすぐ日テレの24時間テレビですね〜!18、19日でしたか。いや、俺は意外と好きなのよ、この番組。お祭り感があるでしょう。内容的にはフジの27時間の方が好きだけど、お祭り感では日テレの勝ちだね。
ちょっとチャリティーってのにムズ痒いものを感じつつも、とりあえずイイことしてるのは間違いないようだし、たとえ偽善と揶揄されても、偽善も善でしょ。結局、行為でしか人は計れないからさ。
俺が初めてちゃんと観たのは、ダウンタウンがパーソナリティやった92年なんだけど、この年って、番組全体が大幅に改変された年みたいだね。ここからバラエティー色が強くなったようで。まぁダウンタウンを抜擢した時点で、それは伝わってくるけどさ。
実際、この年を境に平均視聴率も跳ね上がってるみたいだし、テレビ的には成功したんでしょう。この、視聴率とかテレビ的な成功ってことをどう捉えるかは微妙なトコだけど、やっぱりショーとしてやるからには注目を集めないといけないわけだから、視聴率が上がること自体は良いと思うよ。ただ、バラエティー色を強めたってのは難しいトコ。どうしたって、何かを茶化したり、貶めたりするようなことが出てくるからさ。クレームなんかの件数も以前よりは増えてることだとは思うけど、それでも視聴率が上がればイイ、とまで言えるかどうか…。
ただ、募金総額自体は平行してる感じだね。まぁ、92年といえば、ちょうど91年が実質的にバブルが完全にハジケた年なわけだから、それからの平成不況でも落ち込まずに募金を集めてると考えたら、充分良くやってると言えるのかな。
あと、今では定番となったマラソンも、この92年からみたいだね。ちなみに初代ランナーは間寛平。でも、たぶん寛平さん用の特別企画ってことで、それからも続いていくとは思ってなかったんじゃないかな。でも、この年は失敗しちゃうんだよね、リタイアして。で、次の年に再チャレンジして、それから毎年行われていくという…。最近では、タレントのイメージアップの為の企画みたいな空気があって、それほど必然性も感じないね。
92年といえば、サライが出来たのもこの年だ。この年のテーマに「歌」ってことがあったんだよね。それで、事前に色々と心に沁みる言葉を視聴者からFAXで募集して、その言葉を参考にして、番組時間内に谷村新司と加山雄三が曲を作ったんだけどさ。でも、こんな急ピッチな企画のわりには、『サライ』良い曲だよね。番組のテーマソングがあるってのはやっぱり強い。
今年はどうなんだろうね、全体的に。マラソンは欽ちゃんなんでしょ?欽ちゃんといえば、24時間テレビ開始当初から、長く司会をやってきた、往年の「24時間テレビの顔」なわけだからね。ファンには嬉しいんだろうし、欽ちゃんという人自身が感動を呼び起こしやすい人間だし。あと、ZARDの『負けないで』を歌えば、感動は必至でしょう。ただ、『負けないで』に関して言えば、感動を誘発する為に「利用してる」っていう感じが見えないように上手くやってほしいね。24時間テレビというか、世の中の善全てに言えることかもしれないけど、結局は受けてがどう捉えるかだからね。計算してやってる感が見えないように、偽善なら偽善で徹底してやってほしいですな。
ヒマだったので、映画『レミーのおいしいレストラン』を観て参りました!我ながら、どうなんでしょう…。いや、でもなかなか良かったッス。『ファインディング・ニモ』以来のピクサー作品だったけど、ここは安定して佳作を作るよね。
ていうか、一つ決定的にダメじゃないかって思ったのは、主人公の青年の名前ね。リングイニってどうなの?覚えづらいっつの!名前なんか、ポールとかでイイじゃんと思うんだけど…俺が日本人だから耳に入ってこないのかねぇ。なんか納得いかない。
逆に、ヒロインのコレットっていう女性…こりゃ久々のヒットかも。これ、ちゃんと計算してやってるんだとしたら、監督は天才か極度の変態だよ。なんともクセのある、違和感のある顔なんだけど、なんか心の琴線に触れるんだよね。不思議な魅力がある。ヤバイ。エロイ。今年一番魅力的な女性かも。…と興奮する俺もなかなかの変態ダネ。
まぁ、後はパリの街並みの描き方も良かった。今、パリなんていうと、どうしても活気がないイメージでしょう。遊びにいくにしても、ロンドンとかの方が全然面白いっていうし、観光だって、以前ほどの人気はないんじゃないの?でも、ドコかで俺達の中にも、パリに対するベタな憧れがあるんだよね。『おそ松くん』のイヤミ的なというかさ、そういうやや古臭い華やかさを描けてるような気がするね、この映画は。パリじゃなきゃ成立しない映画というかさ。ちょっとパリに行きたくなったよ。
それにしても、このピクサーって会社とディズニーとの関係はなんだか面白そうだね。今はピクサーはディズニーの完全子会社なようだけど。かつては提携みたいな感じでやっていて、結局は買収されちゃった…みたいな感じのようで。
そういや、ディズニーランドにも、『バズ・ライトイヤーのアストロブラスター』なんてトイストーリーがモチーフのアトラクションがあるし、以前よくやってた『ライオンキング』とか『ターザン』とかのディズニーアニメも、すっかりピクサー作品に取って変わられてるしね。ディズニーオリジナルの作品も、『チキン・リトル』とか、すっかり3DCGになっちゃった。あの独特の綺麗な配色のディズニーアニメはもうやらないのかねぇ?
でも逆に、日本のアニメ映画界は未だに2Dバリバリだね。いや、別にそれが悪いとか遅れてるとかじゃないんだけどね。なぜ3DCGの方向にいかないかと思うんだよね…。まず、やっぱり日本人はアニメ絵が好きでしょう。アニメだったらポリゴンじゃなくて絵が見たいって言う人は多いと思うよ。
それに、3DCGってのはとにかく金が掛かるからね。よほど名前だけで興行収入が見込めるような作家や監督じゃなくちゃ予算も組めないからさ。あるいは、作品自体のブランド名か…。でも、そっち系は、結局作品名重視みたいになって、内容がおろそかになりそうだからね。映画『ファイナルファンタジー』的な…。
やはり、日本にもピクサーのような3DCGにこだわったアニメ製作会社が出来ないとダメかな。需要はあると思うからね、上手くタイアップしていけば、最初からそれなりに大きな規模で予算組めると思うけど。なにしろ、世界に冠たる「アニメ大国」なんだからサ!
まぁ相変わらず何も無い日だねぇ…と思っていたら、8月6日って、広島に原爆落とされた日か。ちょっと、テーマとしてはブログで扱うには重いね!
原爆投下の問題に関しては、あらゆる方面からのアプローチがあるんだろうけどさ。ここはちょっと俺らしく、ちょっと変わった方向から攻めてみたい。
一般的な日本人にとって、マンハッタン計画とかって、どういう位置づけなんだろうね。マンハッタン計画ってのはアレだ、原爆を作るための計画で、当時のアメリカというか、世界最高レベルの科学者たちが集まったことで知られているんだけどさ。それに対しての非難って、驚くほどないよね。似たような例では、原爆の根幹というか、質量欠損とか核エネルギーの理論ってのは、アインシュタインが理論化したわけでしょう。それについても特に何か文句言う人はいない。
まぁ、アインシュタインに対して怒りの矛先を向けるってのは流石にアレにしても、マンハッタン計画とか、非難する意見がもっとあってもイイでしょう。むしろ、そういうの逆に大好きだっていう人も多いよね。なんだろう、日本人は学者ってのが好きなのかね。全面的に信頼してるというかさ。学者には罪がない、みたいに考える人が多いのは間違いないと思う。
いや、俺なんか、まさにその典型なんだけどさ。まさにマンハッタン計画萌え。オッペンハイマーのことなんて、所長って呼んじゃうもん。でも、これだけ学者の倫理観ってことに関して色々と声が挙がってこないっていうのもどうなんだろうと時々思う。オウムの時に少々叫ばれた気はするけど、それも、「学者」というより、「若者」とか「高偏差値の人々」といった文言に回収されてしまった気はするよね。
海外では、もっと科学者の倫理ってことが重要命題として扱われているけど、日本は確かに甘い。まず、日本では性善説的な考えというか、学者って人達が道徳的、倫理的人種であるようなイメージがあるんだよね。俺なんかからすると不思議なんだけど、かなりこの考えは一般的なものでしょう。たぶん、学者になるような人=勉強のできる人=学校の優等生=先生や親の言うことをよく聞く人=良い人、みたいな思考回路なんじゃないかと思うけど…それって、本当にレベルの低い話だよね。
そりゃ普通の大学教員程度くらいならなれるかもしれないけどさ、本当の学問的才能ってものに対して日本人は鈍感な気がする。人の言うことなんか全く聞かない、道徳的な気持ちなんて一切ない、だけど抜群に数学的才能はある、みたいな人が実際にいるわけだからね。むしろ、科学者なんて奴等を放っておいたら何をするか分からない、くらいの方がホントでしょ。海外…特にアメリカなんかでは、科学哲学なんていう分野も活発なようだしさ、他にも、テクノロジーによって人間が不幸になったなんていうのも、キリスト教原理主義的な面などからのアプローチも含めて、かなり共有されている考え方だし。
我々も、もっと科学と倫理っていう問題を考える必要があると思いますな。まぁ、その辺はこれからもう少し議論されていくと思うよ。おそらく、ハッカー問題辺りから湧き上がってくるんじゃないかな。まぁ俺の予想は当たるから、見ててよ。
最近、また地価が上昇してるんだって?まぁかなり都市部に限ってのことみたいではあるけれど、随分と急激に上昇してるみたいだね。
でも、どうなんだろう?これをどう見るかは難しいとこだね。経済ってのは、色々な要素が絡み合わさったものだからさ、素人が簡単には分析できないけど…。
まずは、景気が回復してるのかってことだよね。株価、長期金利、各企業のボーナスなど、様々な指標を見た限りでは、確かに景気は良くなってるみたい。他にも、就職率なんてのも良くなってるみたいだしね。
ただ、日本が潜在的に持っている経済力と比較してどうかっていうと、まだまだ活発化してるとは言いがたいとこでしょう。儲かってる所と儲かってない所の、消費の格差が激しいようだからね。正直言って、まだ一般庶民の財布の紐は固いみたい。先行きが不安だからねぇ。逆に、国が景気回復宣言みたいなものを大々的に行えば、庶民の消費も増えると思うんだけど…。
あとは、このまま地価が上がって、バブルが再燃するのかっていうのもあるよね。でもねぇ…バブルなんて、また来てほしいと思う?俺からしたら、もう勘弁って感じだし、政府としても警戒してると思うけど…。ただ、世の中にはバブルがまた来てほしいと思ってる人が沢山いるのは事実のようだね。
バブルなんてのは、有りもしないお金が、帳簿の都合上、有るように見えるだけみたいなものだからさ。必ずハジけるものだし、ハジけた後がね、企業や個人は破産するし、金融機関も大打撃を受ける。そして、その後始末に国民の税金が投入されたりするわけでしょう。いいことなんて全然ない。人の心も荒れる気がするし。
ただ、ちゃんと国が管理してないと、自然とバブルが引き起こされる可能性は高い。バブルってのは資産インフレのことだけど、インフレってのもデフレと一緒でスパイラルする構造があるから。
地価が上がる⇒土地を持ってる人は、その値上がりした土地を担保に金を借りる⇒その金で土地を買う⇒土地を欲しがる人が増えるので、地価が上がる⇒土地を持ってる人は、その値上がりした土地を担保に金を借りる⇒その金で土地を買う⇒土地を欲しがる人が増えるので、地価が上がる⇒続く…という感じでさ。
ようするに、放っておくと、自然とバブルが始まってしまう構図があるんだよね。アダム・スミスの「神の見えざる手」では、市場が必ずしも健全にいかないという一番良い例でしょう。そうすると、ケインズ的に、国家が市場に介入するしかないんだよねぇ。最近の経済学界では、また新古典派が見直されてるみたいだけど、ケインズ的アプローチをもっと深めないと、市場に任せるだけでは不安すぎるよね。
最近はレギュラシオン経済学なんてのに注目してるんだけど、まぁ経済学ってのは難しい。学者としての目線と商売人としての目線の両方を持ってないといけないでしょう。日本からノーベル経済学賞受賞者は出てないけど、もっと理論面でも頑張ってほしいね。
ただ、幾ら経済学を勉強して理解しても、実際に国を動かしてる方々や財界人、投資家の類が、長期的な日本経済の健全化を最優先に考えるとは限らないからねぇ。自分の目先の利益を優先する可能性は非常に高いから。それは前回のバブルの時に思い知らされたけどね。人は過去に学ばないものですからなぁ…。と言いつつ、バブルでイイ思いしたいと思ってる自分もいますけど!悲しい性ですね!
8月に入ったし、梅雨も明けたしってことで、サメの話でもしようか〜。
いや、サメってのはイイよね。まず、フォルムがイイよ。古生代から変わらぬその姿は、まさに生き物の究極形って感じもするしね。小さい頃に図鑑で読んだけど、クラドセラケなんていうサメの先祖から、ほとんど形が変わってないようだから。ロマンを感じるッス。
まぁサメっていや、やっぱり一番人気はホホジロザメってことになるんだろうけどさ。一般的に人食いザメとかいったら、あいつのイメージだよね。海で会ったら、絶望的な気分になるんでしょーね!
それに比べると、ジンベイザメなんかはイマイチだね。こいつは現存する最大のサメだけど、デカイだけで、プランクトン食べたりするヌルイ奴だから。俺達が、サメに何を期待してるのか分かってない、空気読めない奴って感じがするよね。
それだったら、やっぱりメガロドンでしょう。こいつは15メートルある巨大なホホジロザメの仲間で、とっくの昔に絶滅してしまったとされているんだけど、実は生き残っているんじゃないかなんてウワサの絶えない人気者なんだ。言ってみりゃ、ジンベイザメと同じくらいの大きさのホホジロザメだからね。今まで海に生息した生物の中でも最強系でしょう。考えただけで鳥肌立ちますな。まぁ、本当に生きてたらたまったもんじゃない気もするけど、ゼヒ水族館で見てみたい気がしますぜ。
まぁ、そんなスゴイ奴らじゃなくても、造形的にはコバンザメとかシュモクザメとかも好きだよ。シュモクザメは、頭がハンマーみたいな形の奴ね。飼ってみたいッス。
でも、俺が一番好きなのはメガマウスなんだよ。非常にマイナーなサメだけど、たまに波打ち際に死体が上がってたりしてニュースになる。口が大きくて、なんだかナマズみたいなのなんだけどさ、深海に住んでて、全然生態が分からない、ナゾの多いサメなんだ。やっぱり、ナゾの多い奴はイイよ。海のロマンって感じがしてさ!
それにしても、こういう昔から生きている生物を見ていると、進化の不思議を思わずにはいられませんなぁ。進化論生物学というのは、結局ダーウィニズムを補強することで進歩してきたわけだけど、そのダーウィニズムってやつには、常になんか懐疑的なものを感じるのよね。
その理論の根幹は、適者生存ってやつなわけじゃん。突然変異などで現れた、子孫繁殖に有利な個体が、他の個体を自然淘汰していくっていう例のアレだ。
一見、非常に説得力のある話だから、異論を挟む余地もない気がするんだけど、じゃあ、その進化の途上の個体とかもいるんじゃないの?みたいな疑問があるわけ。例えば、キリンって生き物がいるのはイイとして、キリンに成りかけのやつがナゼいないのか、ってこと。キリンならキリンと、きっちり区分けされずに、グラデーション的に首の長さが違う個体がいてもイイ気がするけどね。
まぁ、だからといって、神が創造したとかまでは思わないけどさ。どうも昔から、腑に落ちないものが残るんだよね。
それにしても、最近、哲学の方はどうなんだろうねぇ。すっかり活気が無くなっちゃった気がするよ。「哲学」学の方は相変わらず、低空飛行ながらそれなりの人気を保ってるようだけどさ、古典研究とかの類は。でも、この哲学者がスゴイ、的な景気の良い話は聞かないねぇ。
勝手なこと言うと怒られるけど、哲学者なんていう人種も、ドゥルーズやデリダ辺りが死んで、居なくなっちゃったような気がするよね。そりゃフランス哲学の話でしょうっていう意見もあるだろうけど、アングロサクソン系の方だってどうなのよ?分析哲学だ、プラグマティズムだなんて言っても、どうも日本人が好きな観念的な哲学とも違う気がするのよねぇ。どうにも現実的でしょう。今どき、ちょっと気の利いた人間は、純粋な哲学なんかやらないってことかね。文字通り、何か実用的なことというか、この人間社会のことを分析できるようなものの方にいくのでしょうか。
まぁ、でもそれ言ったらフランス哲学の方もそうか。だいたい、最近はフランス哲学とも言わずに、現代思想なんて言葉を使うよね。本来哲学が扱うべき分野を、他の新しい学問が回収していってるってことでさ。その新しい学問の潮流が、現代思想って呼ばれるワケ。中世に、科学という新しい学問が、哲学から自然に関わることを回収していったという歴史を思い出すね。
現代思想っていうと、まぁ基本的には構造主義以降ってことなんだろうなぁ。構造主義ってのは、辞書的に言えば、ソシュール言語学から始まって、レヴィ=ストロースの構造人類学辺りで確立した、一つの思考法みたいなものだけどさ。構造を分析することによって、共通の普遍性を見つけるみたいなもので、非常に科学的な方法なんだ。
社会科学の範囲に、科学的な分析法を持ち込んだことによって、都市住民と未開部族、現代人と古代人など、今まで端的に違うと思われていた人間達の間にも、共通の思考様式や行動様式があることなどが発見され、そこから哲学的な諸問題にもアプローチできるということで盛り上がったんだけどね。
具体的には、構造主義的な方法によって、社会や言語、歴史、心理などを分析するのが流行ったってこと。それが、社会学、言語学、歴史学、心理学などだね。そして、それらにより、純粋な哲学は、かなり淘汰されたような形になってしまった。
でも、本当はそれらを体系化する、普遍学ともいえる学問が必要なわけでしょ。それが哲学の役割だと思うけどねぇ。人文、社会科学系だけじゃなくて、自然科学の方からも、人間の認識だとかに関しては面白い研究がなされてきているわけじゃん。脳研究やらサイバネティクスやらさ。そういうのも全てまとめていけるような形で哲学が復権したら、本当に面白いと思うんだけど。
でも、全て体系立てるような学問は要らないとするのが現代思想の流れだからね。真理なんてものは無いから、個別に現実を分析していこう、的な感じでさ。それじゃなんだか寂しいような気がするのは俺だけか…。